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2018年 01月 16日

二七日

今日 1月16日は 母の二七日(ふたなのか)でした

早いものです

14日間も経ったんですねえ

母が亡くなり 24時間私一人の時間になりました 

白状すると 母が元気な時は行動にどうしても制限がかかるので 嫌だと思ったことも少なからずありました

ところが 手持ち無沙汰です 

慣れるまでしばらくかかるでしょう

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花は葬儀会館の方から七日毎に届きます

49日が明けるまで届けてもらえることになっています


私はやはり疲れているのでしょう この3日間は何もする気がせず

ストーブの前で読書三昧でした

何 読書三昧といえば聞こえがいいですが

要するにグータラ グータラ しているわけです

仕事が始まったらやばいなと思いながら 朝もゆっくり

母の朝食を用意しなくてもいいことで すっかり怠けています

今日は少し片付けなど 再度取り掛かりました

テレビの上の埃を見てギョッとしました 笑

私の知っているDrが やはりお母様を亡くされた時 しみじみと この世でたった一人になった孤独感を感じると言いました

その時は 私の母は元気で 田舎で暮らしていましたから えーーーーー哀しいけど そんな感じになるんですか?

聞いた私に 父親より母親を亡くした時の方が堪えるよと言いました まあわしが男やからかもなあとも(先生曰く すべからく男子は母親を一番に思うものだそうです)

先生はもうかれこれ10年以上も前に亡くなりましたので この体験を話すわけにはまいりませんが

親という存在 親になるということも含めて改めて思う私です

七日毎に心を込めて故人を偲ぶことも 自分自信の為になるのですね

仏事とは生きているものが故人にするもの 

それはとりもなおさず 慰めと平安を少しづつではあるけれど 我が身にもたらしてくれるのだと

自分への慰めと癒しになるのだと思います

そんなことを感じているこの頃でございます

人間は聞いただけではわかりません 体験して初めてわかるのですね


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by hanarenge | 2018-01-16 21:06 |
2018年 01月 10日

すてってますねん

市役所を出ると 雨だった(川端風に)

すてってる 

すてるでピンと来た方は 医療関係 ナース Dr.ですね

「すてるべん」です

何をすてるん? いや 「べん」とあるから う◎◎かな?

はい!思った人は手を上げて 笑 首振ってもダメ 思った人いてはるでしょう?

ドイツ語をお勉強された人はわかったのではないでしょうか?

sterben(すてるべん)とは死亡することを指すドイツ語です ステるとも言います

詰め所で 申し送りの時 誰々さんがステッたとか誰々さんがステりそうとか 業界用語 看護用語

そうです 死んだということです

ブログの見出しに死んでますねんとは書きにくかった

え??知ったかぶりの見栄っ張って?

いやいや 否定はできませんわ

これは人間誰しも持ってはると思いますけどね

そう 私はイヤな奴 爆笑

本題です

今日は母の年金受給停止手続きに行きました

ほとんどの手続きは弟がしますが 年金だけは同居者がすることが第一条件らしい

よってお姉ちゃんの出番です

母の年金手帳がない!!年金受給証もない!!!

家捜ししてもない!!

考えたら母がここに来た時 もう年金は受給していましたから 口座の住所変更をしただけで年金手帳を預かった覚えはないのです

ボケたかと頭を絞りましたが 覚えはない

お母ちゃん どこへ置いたん??聞くわけにもいかない

そうや!!あれや!!どれや!!これや!!!!

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まるで万能の手形みたいに取り出したのは 年金のお知らせ

これに年金の番号及びコードが明記されている (まるでどこぞの機密の公開書類のようですな)

これさえあれば 厚生労働省の日本年金機構からデータを呼び出せるはず

これと年金の振込口座の通帳を持って いざいざ行かんと 市役所へ

手帳も証書もないので もっと手間がかかると思いきや

流石のお知らせのハガキの威光?はすごい 

係りの人の私が手帳も証書もないと言った時の引きつった笑顔は このお知らせを見た途端に満面の笑みに変わった

これで十分でございます  

よかった〜〜〜〜 と私

母の住民票と私の住民票 及び 私と母が親子であるという証明に私の戸籍謄本がいるとのこと

母の死亡は1月3日 しかし年金は日割りではなく1月ぶんはまるまる一ヶ月分振り込まれる

当然母の口座でいいじゃん いえ 娘様の口座になります

と言うことで 私の戸籍謄本がいるということになるのである (あんまりようわからんけど)

書類をもらって住民票の請求窓口へ

私の本籍は田舎だった よって郵送してもらうことに(もちろん私が手続きする)

ここからがハプニング

なんと!!母の死亡届がS市役所に届いていない!!!T市役所からまだ来ていない!!!

ええ〜〜〜〜〜!!!死亡は3日 今日は10日 御用始めは4日 間に土日と祭日が入っても それ割り引いても そんなことあるの!!

何してるの?思わず出ましたよね このネット時代 市役所もイントラで繋がってるのと違うの!

申し訳ございません

届けがこちらに来ましたら K・S(母のこと!!!!)さんにお電話差し上げますので

K・Sは死んでますねん!!

ああ====誠に申し訳ございません!!!!

あほちゃうの!!(心のつぶやき)

漫才とちゃうねんよ

はい もう 誠に申し訳ございません

何考えてんのやろ

この人たちには日常茶飯事でも 当方としてはそんなにあることやないのです

私はもうおかしいやら呆れるやらで 

市役所を後にしましたのでございます

今日のネタでございました

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by hanarenge | 2018-01-10 23:40 |
2018年 01月 07日

adieu 母へ

さようなら さようなら もう二度と会うことはないのですね

adieu adieu 長い長いお別れです 

どの出会いも 別れを内包しています

どの出会いにも別れは必ず来ます

だから さようなら さようなら

今年はお別れから始まりました

だから 優しいさよならを 言いましょう

いつもいつも思っていましたよ

いつもいつもあなたがいましたよ

春 夏 秋 冬 めぐる季節の中に あなたはいました

窓の外を吹き抜ける風の中にも

暖かな光の中にも

暗い夜にも

キラキラ光るあの雨の中にだって

いつまでも いつまでも 覚えておきましょう

そしてあなたに会えたことに感謝しましょう

あなたと過ごした時間に感謝しましょう

あなたが去った後 私は悲しみの中にあなたの潔さを感じました

あなたは じゃあねと片手を上げて もう振り向きもせずに行ってしまいました

あなたの時間は終わったように見えますけれど きっと私の知らない世界で あなたの時間は続いているのでしょう

そこでもあなたは あの屈託のない笑顔を見せているでしょう

あなたのことを忘れません 

あなたにadieuを言いましょう

ありがとうの気持ちを込めて あなたにさようならを言いましょう

母は永眠いたしました

安らかな眠りにつくように 大きな息をして 母の心臓はその動きを止めました

自らが希望した通りの人生の収め方だったと 思います

母は物事の本質を見極める人でした

見送った私は悲しみの中に清々しい気分が湧きました

お母さん あなたはあっぱれでした

もう好きなところへ行けますね 

今日はどこまで行きましたか?

世界中を巡りましたか?

あなたを思いながら 私は考えています

お母さん あなたは感傷的すぎると言うかもしれませんね

もう少し先で お母さん あなたのことをまた書きたいと思っています

今夜はこの駄文で許してくださいね



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by hanarenge | 2018-01-07 22:52 |
2018年 01月 03日

母  死への道程

新年早々のこの記事 ご不快に思われた方がいらしたら 申し訳ありません

正月早々 死への道程などとはと思われる方もいらっしゃるだろう

生意気だがあえて言いたい

これは母への賛歌でもある

私は書くことが好きだ 書くことで気持ちが落ち着く

母をこのブログに残しておきたい 私たちが母の覚悟にどう感じ どう向き合ったか 私は残しておきたい


長男一家と次男

2日は母へお年玉を持って皆で集まる

母はもう話せない 頷くのも無理 呼吸も変わった

あちらへ向かう旅の用意がいよいよ始まったと思う

次男が正月の1日に当直をしてくれたが 耳元でお婆ちゃんとの思い出をいっぱい話したと
そうしたら手を握り返してくれたと

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2日の夕方 母の症状がまた一歩 いやもっと進んだ


私たちが母の望みに沿ったと思っていたがその実 母は私たちへ贈り物をしてくれたと感じる

母との時間を過ごすことによって 家族の愛情を改めて感じる 母の愛情を噛み締める
 
弟の一家 長男一家 私と次男 母を通して魂の会話ができていると感じる

大げさではなく 心が豊かに優しくなれたと感じる

そして絆とは何かを改めて考える

母が残してくれる大きな遺産だと感じている



苦しそうには見えない 水分を極力減らしているので(点滴は200ccを週に2回のみ)喀痰もない 喘鳴もない 呼吸は早く浅いが ナース巡回の時にはBDは安定していて spo2は95パーセントだった

実は今夜(2日)私が当番だったが 19時過ぎに容態が変わったのだ

遅きに逸してはと子供達や弟に連絡をした

孫達に囲まれて 母は昏睡に落ちている 孫達や私たちが思い思いに声をかけるとかすかに答えてくれる


私の長男が(孫1号)今夜は俺が泊まると言ってくれたので 弟に送ってもらい次男と真夜中に帰宅した次第

母は頑張ってくれているが もういいよと声かけを皆でする 母の旅立ちは近いと思う

よう頑張ったね お疲れ様 おばあちゃんはさすがやね ありがとう ありがとう そんな声に囲まれて母は無心に眠っている



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by hanarenge | 2018-01-03 02:59 |
2017年 12月 20日

母の不在


母の不在と言っても 入院しているから 物理的には11/14から不在だ

ブログで皆さんご存知のような状態で 帰宅はもう叶わない

今日 介護保険でレンタルしていた母のベッドを業者に引き上げてもらった

母は25日に入院している病院を退院する

そして 病院敷設の高齢者サービス付き住宅に入居する

そこが新しい母の家となる

そこに新しいベッドを一式入れてもらうのだ

ぶっちゃけ言えば 病院では私たちの思うような看取り看護は無理がある

院長 師長 介護職のチーフさんと話し合って 住宅に移ってそこで看取り看護ということになったのだ

自宅という認識で ある

自宅なら 無理な延命治療は選択しなくても良い

1日に3回のヘルパーさんのオムツ交換 体位変換等の介護 清拭 洗面 口腔ケア 一応の食事介助(食べないからなのもしないでは無理があるということで 1日に一本の栄養補助剤を出すが 拒否すれば無理強いしないと言うスタンスで)
一週間に一回の入浴介助 同じく全身清拭
部屋の掃除まで含まれるらしい!びっくり

点滴は1回/2日の予定
おそらく100ccから200c ただし 留置カテーテルではなく 毎回 点滴針 あるいはエラスターの差し替えとなる
痛がるはずだ
その内拒否するようになるか 漏れやすくなるだろう
そうなったらそうなった時だ

私も勤務が一段落したので 母の当直(みたいなもの)もする予定 家族分担でね

そういう事なのでもう母は我が家には帰ってこない

一昨年 蜂窩織炎に罹患して 白血球数が異常に上昇
敗血症になるかもと言われ 最悪足の切断まで考えるように言われたのが 3ヶ月で回復して退院できた
検査のために開けた後の傷の洗浄とガーゼ交換が毎日なので 勤務のある私には無理なので 長期のショートステイを選択
日曜日には私が洗浄と交換に通った
その後 一年はかかると言われた傷は5か月で見事に塞がって無事の帰宅となったのだが 布団での寝起きは困難となり 介護ベッドをレンタルしたのだ

その後はショートステイとデイサービスで過ごして来たのだ

トイレの手すりも歩行器も返還する

車椅子だけはまだレンタルしておこうと思う今日この頃

長い間見慣れた母のベッドが取り払われて 空間ができた

以前はソファに座り ここでテレビを観た

なぁにも 面白いもんはないわと言いながら 氷川きよしが出てくると嬉しそうだった

やだねったらやだねとか 箱根八里の半次郎ーーーとか一緒に歌っていた

おかげで私も覚えて一緒にハミングする始末

目が良いので(80代で白内障のOPをしてから 視力回復が最強)メガネなしで新聞を読み 裁縫もした

こちらへ来てからはズボンの裾上げとゴム通しは母の仕事となった
私は全面的に不器用なのだ

ゴム通すものあったら出しなさい 裾上げあったら出しなさいとよく言われた

洗濯物も畳んでもらった

もうなーんもできやんというのが口癖だったけど ニュースを見てよく意見を言った

母と口喧嘩したら9割がた勝てない

倹約家で お金は使うべき時には出し惜しみするなと

また 有るだけ使うのはバカと言われた

欲しいものは7日間我慢してみ? そしたら大概のもんは要らんもんやったと分かると

そしたら売れてしまうやんと言うと ホンマに懲りない奴やと言う顔で見られた

母に言わせると私は何でも欲しがるアホな子らしい

母と私ははっきり言って気が合わない

どちらかと言うと母のお気に入りは私の弟だ
かと言って 冷遇された覚えはない
ただ よく叱られたと思う
今から思えば 私のやんちゃが過ぎたのだと思うが
私は父親っ子だった

( 今では孫たちが一番だ 中でも私の長男と次男は別格扱い )

田舎の母が私と暮らすことになったが 仕事があってよかったと思った

一日中顔を付き合わせているとお互いに息が詰まったと思う

私の好きにさせてくれたと改めて思う

何はともあれ 私と母は2014年から一緒に過ごしたのだ

母のベッドが無くなってぽっかり空いた空間

やけに広く感じる

母の不在が 今夜は特に応える

私が母の不在をハッキリと意識した夜だと思う

こうして諦観と言うと大袈裟だけど慣れていくのだね

写真のお友達の皆さまや ブログのお友達の皆さま(ほとんど同じね笑)

撮影とかオフ会 どうぞ声をかけてくださいね

れんげそうは看病で忙しいだろうからと気を使わないでください

看病する本人がまいっちゃったら それどころでは無くなります

行けない時はちゃんと言いますから

どうぞ宜しくです



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I
photo collegeのアプリを使って

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by hanarenge | 2017-12-20 20:11 |
2017年 12月 20日

ちょっぴり切ないさようなら



母が田舎を後にした日は 2014 12 20過ぎだったと記憶しています

良く働き正直に生きて来ました

過去の思い出 アップします 上手く載ると良いのですが

ブログの記事の日付けは2015 0109です


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昔、昔の事です。

小さな山の中の村に、これまた隣の山の小さな村からお嫁に来た人がいました。

新しい住まいとなる村は、その人の住む村から山道を、とことこ歩いて峠を一つ超えた所に有りました。

杉木立の中を抜けて、山の中腹から見下ろしたら、村中の葛屋葺きの屋根がお日様に光って見えました。

春は山桜が村の中にも山の中にも咲いて、まるで村中が柔らかい陽射しに包まれたようでした。

夏は、薄荷色の風が村を吹き抜けて、露草が朝露をいっぱい含んで咲きました。

秋は野も山も、紅葉で錦に染まった美しい衣装をまとった様に見えました。

冬には、真っ白な雪景色が広がって、田んぼや畑は静かに眠っていました。


悲しい事もありました。辛い事も有りました。
でも、毎日、毎年、決まった様に農作業をして良く働きました。
この村で、農業に励み、子供たちを育て、年老いた人を見送り、そうして真面目に生きてきました。

やがて、子供たちは大きくなり、皆、外の都会へと出て行きました。

旦那さんを見送ったら、大きな家に独ぼっちになりました。

近所のお家も似たり寄ったり。

若者の姿は村の中には有りません。賑やかな声も聞こえません。

何百年も続いた村は静かに静かに、閉じられようとしています。

今年92才の私の母は、60年以上住み慣れた村を後にしました。

もう二度とあの家で暮らす事は有りません。毎日見上げた大きな黒い梁ともお別れです。

私の母と同じ様に、いえ、それ以上に歳取った家は、静かに母を見送りました。

母は、生まれて初めての都会での生活を今年から始めます。
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by hanarenge | 2017-12-20 16:37 |
2017年 12月 17日

私の母は絶飲 絶食を選択 もう1ヶ月半になる (今は病院で24時間の末梢点滴の処置を受けている)

さすがに弱ってきている

しかし 何か飲んでみる?とか食べてみる?と問いかけたり メイバランスなどの栄養補助剤を進めるが 良くて一口か二口を
口にするだけ 3ccくらいのものだ 固形物に至っては頑として受け付けない

お腹すかへんの?食べたいのに食べられへんの? それでも 毎回同じことを聞く私

母の答えも毎回同じ いらん 食べた(く)ない お腹はすかん 

食べない人に無理強いは虐待ですと 入院する時に師長さんは言った 

まさか我が身にこのような事態が降りかかるとは思いもかけなかったが

それに添っていこうと決めたのだから

これから予想される事態に うろたえることなく対処しようと思うのだ

思うのだが・・・・・

実際のところ 弱っていく母を見たら 切ない

今日も夜行ってきたが 声も小さくなって ほとんど目を閉じている

耳元で 母の実家の話や 私たちの子供の頃の事を言うと 目をつむったままニコニコ笑う

相変わらず声は小さいが 意識はしっかりしていると思う







母の場合 胃瘻或いは中心静脈栄養法 鼻腔栄養で命は確実に永らえる


だからこそである

だからこその食事拒否なのだと私は感じる

そこに母の強い意志を感じるのだ



これが認知障害の拒否なのか 覚悟の拒否なのか

恐らく誰にもわからない

私は認知ではないと感じている そう思うと余計に切ない

毎年 もう10年近く話し合った終末の事

自然に逝きたいと言う母の願い

他人様から見たらどう写るか 私には想像できる

これは経過はどうであれ 母の決断なのだ

葛藤の中 家族でその母の願い通りにする事を選んだのだ

だから決めた事が最善だと思うようにします

いっぱい矛盾も 後ろめたさも感じていますけど

お母さん あなたは あっぱれやと送り出したい




書くと気持ちが落ち着く 書いていると静かな気持ちになっていく

でも 心は痛い 悲鳴をあげている 葛藤しながらやっぱり元に戻っていく 何故?何故?もっと他にと

他の手段はないとわかっているのに




私は母の入院先に 今の病院を選んで良かったと思っている

私たちの葛藤を正面から受け止めてくれていると感じるから ありがたく思う



重い記事を読んでくださってありがとうございます



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by hanarenge | 2017-12-17 21:56 |
2017年 11月 16日

ありがとうございました

一つ下の記事

ショックだ ですが これを書いたときは とても重苦しい気持ちでした

職業柄 ある程度のことはわかってしまい またどうしても悪い方へばかり考えが走ってしまいます

臨床を離れて長いとは言うものの トドのつまりを予想してしまうのです

そして暗い重い記事を読んでくださった方

メッセージを下さった方々に心から感謝します

本当にありがとうございました

皆様からのお言葉がとても嬉しかったです

今日母のところへ行ったのですがとても落ち着いていました

点滴が漏れて差し替えが足になったので それは痛がっていましたが

暴れたりはしていませんでした

痛いのは当たり前です 足は痛いのです 抹消ならなお痛い

特に母だけ特別と言うわけでもないのです

母にとっては納得いかないでしょうが なぜ点滴をするのかを少し話してみました

そうかあ・・・・・ 解ったような顔で頷きますが

解ってくれたかなあ

入院はこれまでの人生で3回しかありませんから 点滴の経験もほとんどなく戸惑うことも多いでしょう

病院の環境にも慣れなくてはならないし

忙しいねと言うと笑っていました

人の気持ちはクルクル変わります

今日思ったことは明日にはもう変わっているでしょう

それでも 随分と気持ちが楽になりました

考えたら 私の生きてきた道もみなさま同様 嬉しいことも苦労も多くありました

自分で選んだ道ですから 後悔はしていませんが

これからどう言う風な展開を辿るのか 未だ未だわかりません

それでも 私は 仕事に励み 趣味を楽しみ 友人と語らい 母を見守り しなやかに生きたいと思います どこまで出来るか 気持ちが続くかは未定ですが

私は私 こうだと決めつけず

腹をくくって やってみましょう

決してまなじりを決すると言うようなオーバなことではなく 呑気に構えて

と、まあ ここまで書いて

人は弱いものまたいつ落ち込むか それでもいいさと 割り切って一日を過ごしてまいりましょう

一日が無事に終わったら感謝して また明日一日が無事に終わることを願いつつ。。

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by hanarenge | 2017-11-16 20:32 |
2017年 11月 15日

ショックだ

94歳の母ですが 少しずつ状況が変わってきました

食べられない 飲めないから始まったのです

口の中が痛いと言い始め では見せてくださいと言うと 頑として拒む

私の仕事の日とショートステイ利用開始の日が重なった朝でした

見せてもらわないとショート先に症状が言えないからと 見せて欲しいと頼むと 大声で痛いと言う

ではとばかりに実力行使に出ると まるで私が暴力沙汰を起こしたようにわめかれました

何とか少し開けさせて見るも異常は見当たりません

大丈夫やで ということで 少し食べることを拒みますと言って送り出した

案の定電話がかかってくる 栄養補助剤で様子を見て往診も依頼するということで 幸いなことに母の主治医がショート先の担当医なので 私からもお願いに行く

往診に行かれた後でまたお話を聞きに行く

思ったより元気そうだった 栄養補助剤と食道の動きをよくする薬も出しておいたとの由

診断では嚥下障害でも胃の問題でもなさそうですとのこと ただ水分は通るのに固形が無理というのはおかしいと言われた
最初は水分から始まるとのこと

ショート中は なんとかメイバランスを半量〜全量摂取 パンを牛乳に浸したもの ミルク 水 お茶などで乗り切る

帰宅後 2日くらいは文句も言いながら(美味しくない=これは本当)一回に一本摂取していた

そのうち メイバランスもいらない 飲めないと言いだす

ショートから帰宅した時は歩行器を使ってトイレまでは歩いていたが デイケア利用時は玄関まで歩けなかった由 ヘルパーさんが深刻な顔で私に説明してくれた

歩けない!!大問題 母に何とか歩いてみようと 昨日までは歩けて今日急に歩けないというのはちょっと変よと言うと
ベッドに倒れこんで怒る

ここで負けてはいられない 一番困るのはお母ちゃんと私や 歩行器で立つだけでも立ってみよう

なだめて すかして 怒って お願いして1時間 やっと歩くわと言ってくれる

がんばれ えらい さすがや 褒め倒してトイレまで何とか歩行 失敗なしに用足しできる もうこれだけで恩の字

ショートで歩かへんかったから足が弱ったんやなあ つぶやく母 
よう頑張ったねえ 私嬉しいわと言うと そりゃ迷惑かけるわけにはいかんもんと言う 

私ウルウルきちゃいましたよ

ところが 問題は翌々日 デイケア先ですごく元気がない メイバランスも水も飲まない と ケアマネさんからメール

弟と入院になるやろうけど 主治医に相談してからと決める

仕事が終わってから主治医の医院に直行 ものすごく混んでいるがまたなけりゃ仕方がない

デイから帰宅している母も気になるが 往診依頼をしておかなくては・・・・

ここでも問題 明日はもう手がいっぱいで往診ができないというのだ はああ悪いことは重なるねえ

では救急車ででも行かなくては仕方がない?

どんなところに連れて行かれるかわからない 弟と相談して 弟の知っている病院にお願いしてみることに

翌日 幸いに私も休みだったので まず外来受診から

ここでも問題 母は介護タクシーでないと移動は無理 ところが予約していないと介護タクシーはつかまらない

以前利用していたところへも電話するが 予約が入っているとのこと

介護制度は 緊急時の手配が ほとんどできないのは問題だと思う

ありがたいことに ネット検索でこの辺りと見当をつけた介護タクシーの業者に事情を話すと 探してくれて1台つかまった

雨の中を病院へ 当然のごとく脱水もあるだろうから入院して点滴となる

そこからが 大変なことの始まりだった

レントゲンを撮る時痛いと大騒ぎ 点滴も嫌がってナース三人で抑えてしたと 罵詈暴言も吐いた由

そして お茶を自分で飲もうとしているところをナースが見て お茶飲んだの?と声かけ

飲んでないと頑固に否定 メイバランスも飲んでみる?との問いかけに あんなもの飲めるかときつい口調で答えた由

やっぱり疑っていた通り 飲めないというのは嘘だったのだと思う  薬は飲んで水が飲めないなんて理屈はないよ

だけれども これを責めても仕方がないと思う 

母の中で何かが変わってきたのだろうか

それとも 緩慢な自殺を選択したのか(私はこれが一番気になっている 今の医療ではなかなかそれはできないよ 家で看取らない限り100パーセント無理 家で看取るにしても覚悟がいる)

自分で食べないという手段を選ぶ人もいると 師長さんは言う

それの理由はわからないけれど 食べないと決めた人が再度食べるようになる例は少ないと

母は家にいるのが嫌で 子供じみた芝居をしたのだろうか

それとも 人格変化の現れなのだろうか

今日面会に行った弟と姪の話ではご機嫌だった由

私の長男夫婦と孫たちが来た時もとても機嫌がよかった 入院した時ついていた私にももう帰っていいよと普通に言っていた

やっぱり 少しずつ何かが変わってきているのだろうか

弟はこれからもっとややこしくなってくるだろうと これからのことを考えようと私を励ましてくれた

病院も点滴処置の必要がなくなったら退院しなければならないだろう

そこで問題なく食事を摂取できれば デイもショートも問題ないのだが。。。。。

この後がどうなるのか まだまだ現状ではわからないのだ

ちょっとショックで 途方に暮れた感がある私です


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by hanarenge | 2017-11-15 23:19 |
2017年 11月 13日

綺麗事ではすませられない



ドキッとするタイトルでした

介護の現実 介護の限界

介護という 牢獄

長寿大国となった日本

長生きはめでたい いつまでもお元気で

お元気でいられりゃいい

ところがだんだんと弱ってくる 足腰がやられる 目も耳もやられる 

老いは容赦なく誰にでも迫ってくるのだ

老いるとはどういうことなのか

体の自由がどんどん奪われて できないことがうんと増える 

自分が思うようには何一つできない現実がやってくるのだ

そして 自分が誰かも忘れてしまうことだってあるのだ

敬老の日になると 長寿の方のところにお祝いが届く

何がめでたいものか 私の母は言うのだ

深淵な真理だ

綺麗事では済まされない



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介護をするものが元気でないと 介護などできない

滅私奉公はできない

自分を追い詰め 自分だけで考えないこと 

自分を責めないこと

外に向かって声を上げること

親の介護を自分一人で担うことなどしなくてもいい

この本のタイトルを見て 胸が詰まった 

お母ちゃん 大好きだけど 腹たつときあるよ




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by hanarenge | 2017-11-13 21:58 |