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2015年 08月 23日

Elvisの事 1

Elvis Aron Presley
彼が亡くなったのは、1977年 8月16日
今だに、世界中でこの人の名前を知らない人は、ほとんどいないのではないかと思う。
Elvisと、ファーストネームだけで通用するのは、彼とイエスだけだと何かで読んだ事が有る・・・・

私にとってのエルヴィスは、白いジャンプスーツを着て、ステージで歌ったり空手のポーズみたいなパフォーマンスをしている、外国の歌手の人、そして、何だか、皆がパロディ化している人。。。。
それくらいの認識でしかなく、そしてそれを意識する事も無く、ただただ今まで来たのだった。

私より20年も早く生まれて、私が生まれた頃にはもうサンレコードからデビューしていたのではないか知らん????

ある日、何故か、自分でも説明がつかないのだけれど、ふと、エルヴィス・プレスリーとGoogleに文字を打っていたのだ。
出るわ出るわ、記事も写真も動画も凄い量だ。

若かりし日のエルヴィスは、唖然とするほどハンサムだった。

いや、「危険なほどハンサムだった」← これはその時にウェブで読んだ記事の中の一文です
私は、全くその通りだと深く思いました。

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そして彼のステージは、挑発的で、セクシーで、熱狂と歓声に満ちていた。

その熱狂の渦巻く中で、彼は甘く切なくブルースを歌い上げる。

声を張り上げて、ハートブレイクホテルや、ザッツオールライトを歌う。

その声は、大きな歓声にも負けず、はっきりと美しい発音で聞こえる。

彼の声は重い、重いが、透明感がある、濁りがないのだ。

彼は、ゴスペルもブルースも歌う、そして、その歌声は、心が癒されるような感じがする。



エルヴィスは、貧しい白人家庭の子供だ。
しかし、両親から惜しみない愛情を受けて育ったのだ。
父親が、公文書偽造の罪で、刑務所に入っている間、幼いエルヴィスと母、グラディスは寄り添う様に生きた。
幼いエルヴィスは、母親を気遣うやさしい子供だった。

余談だが、父親と言う人は中々ハンサムだったが、人が良すぎて(良い意味で言えばね)ころっと騙されるような所も有ったらしい。
エルヴィスが生まれたテューペロに居た頃は、父親は密造酒の運搬のような犯罪まがいのような仕事をしていたらしい。


彼は、とてもシャイで、とても礼儀正しかったと言う事だ。
これは、母親から、目上の人には必ずサーかマムをつける事と厳しくしつけられた事も関係していると思う。
シャイだった彼は、しかし、人の目を気にせずに、自分のスタイルを貫く図太さも持ち合わせていた。
彼の髪型、服装、それらは、当時の白人のボーイのするスタイルとは到底言え無かったらしい。

彼の歌い方や腰の動かし方が変だ、いや、もっと言えば卑猥だ、健全な白人の子供を惑わすものだとずいぶんと抗議も来たらしい。
大人たちは戸惑った、理解出来なかった。
しかし、若者たちは、特に女性は、エルヴィスに熱狂した。
20才の若者たった1人が、音楽で世界を揺さぶったのだ。
すぐに人気は無くなると言う見方に反して、エルヴィスの勢いはもう止まらなかった。
彼は、あっという間にスターになったのだ。

彼は人気絶頂の頃に徴兵される。
そして、兵役についている時に、彼がこの世で最も愛した人=エルヴィスの一番の理解者の母を失う。
グラディスは病気で永遠にエルヴィスの元から去ってしまったのだ。

マザコンと言っていいくらい母親思いだったエルヴィスが、母親を失ってどれほど辛く悲しかった事だろうと思うと胸が痛い。

私個人の考えだけれど、エルヴィスはこの母親の喪失に、生涯、耐えられなかったのではなかろうかと思う。母親の死を乗り越える事は恐らく出来なかったのではないかと。

ドイツに赴任したエルヴィスは、そこで、将来の妻となるプリシラと出会うのだ。

エルヴィスの事は、書きたい事が多く、記事も長くなるので、分けて書いて行こうと思う。

Elvis Aron Presley
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by hanarenge | 2015-08-23 09:04 | Elvis


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