心の万華鏡  

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2011年 10月 16日

薬師寺  木を知ること 育てる事

木は 素直な真っ直ぐな木ばかりではない 捻くれ 曲がり 瘤だらけの木もある
木の癖を見抜き 癖を生かして使うのだ


1 西塔の軒 
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東塔を調べ尽くし 東塔様式に則り立てられた西塔は 天平の伽藍もこうだったろうと私の目にも見える気がする
2 東塔の軒の木組み
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3 西塔の軒
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檜はいい材です 湿気に強いし品がいい 香りもいい それでいて細工がしやすい

普通の大工さんとの違いは材料が全て檜でその大きさもとんでもなく大きい
材が大きいというのはただ規模が大きくなると言うだけではなくえらいことでっせ
大きく年輪を重ねた木で千年は生きる建物を造る心構えがいるんですから
自分ができることを 精一杯やる これが宮大工の心構えというもんじゃないですかな

口伝に 堂塔建立の用材は木を買わず山を買え とあります
飛鳥や白鳳の時代の建築は 棟梁が山に入って木を自分で選定してくるんです

大きな伽藍を造るには大きな檜がいるんです
原木の直径2m前後 長さが15mから20mの檜が必要なんですな そうなると樹齢は二千年前後になりますな
今から二千年 二千五百年前言いますと神代の時代でっせ
こんな樹齢の檜は現在では地球上には台湾にしかありませんのや
実際に台湾の樹齢二千年以上の檜の原生林に入ってみましたらそれは驚きまっせ
それほどの木が立ち並ぶ姿を目にしますと 檜ではなく神々の立ち並ぶ姿そのものと言う感じがして思わず頭を下げてしまいます
これは私だけやなしに檜の尊さを知っている人は みなそうだと思います
檜の寿命は二千五百年 杉やったら千年 松やったら五、六百年ぐらいですかな
木の命には二つありますのや 一つは木の命としての樹齢 もう一つは木が用材として生かされてからの耐用年数ですわな

法隆寺の創建は西暦607年頃と思われますが 670年に炎上 再建されたのは少なくとも692年以前やと考えられます
今から1300年前には建てられていたことになりますわな

これらの千年を過ぎた木がまだ生きているんです
塔の瓦をはずして下の土を除きますとしだいに屋根の反りが戻ってきますし 鉋をかければ今でも品のいい檜の香りがしますのや これが檜の命の長さです

この寿命を全うするだけ生かすのが大工の役目ですわ 千年の木やったら千年生きるようにせな 木に申し訳がたちませんわ そのためには木をよくよく知らなならん 使い方を知らななりませんな
木は大自然が生み育てた命ですがな 木は物やありません 生きものです 人間もまた生きものですな 木も人も自然の分身ですがな このもの言わぬ木とよう話し合って 命ある建物に変えてやるのが大工の仕事ですわ
木の命と人間の命の合作が本当の建築でっせ 飛鳥の人はこのことをよう知ってましたな
それと生きて立っているときも年相応に木にも風格がありますのや
檜はだいたいが茶色な皮をしtますが 年を取った木は銀色に輝いて苔が生えましてな すごい木やなというのが見上げただけでも感じられます
 木のいのち木のこころ 天 の章から抜粋

最近の ファッションのような薄っぺらい無感動の安っぽいエコのかけ声と比べると この 西岡常一棟梁の言葉の素晴らしいこと 木と向き合いそこから深く学んだ名工の気構えが見えます

石の重心というのは石のまんなかにあるんやないで 石が一番太うなってるそこにあるんや
そやから 見た目がいいというてそこに柱を立てたらどないなる
そこに建物の力が全部かかるんやで それに耐えられるか 時間が経ったら必ずゆがんでくる
礎石がゆがんでどうする 礎石というものは何があっても そこにそのまま あらな ならんのや
 例え建物が焼けても礎石というもんはそのままそこに残るんや それが礎石というもんや

学者にしてもどれだけ深い学問をしているかということですな
 学者という人たちは本はようけ読みますやろけど 中々実際のことは知りませんやろ
 それでいて自分の学説にとらわれますな これがいかんのですよ
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
職人がいて 建物を建てそれを学者が研究しているんですから 先に私らがあるんです〜〜〜〜〜

党の再建には鉄を使わなあかんと言う学者にはこう言いましたわ
鉄を使ったらせいぜい二百年しか持たん 木だけで造れば千年は持つ 現に木だけでここに法隆寺のように千三百年の塔がたっているやないかと 
目の前に建っているものがあるのに聞かんのですわ 
法隆寺三重塔でもやりあいましたし 薬師寺の金堂でも論争になりましたわ
体験や経験を信じないんですな 本に書かれていることや論文のほうを 目の前にあるものより大事にするんですな 
学者たちと長ごうつきあいましたけど感心せん世界やと思いましたな
中には よく私らの話を聞いてくれる学者もおりましたし 自分の学説にしばられん人たちもおりました 
そうした学者は本当の研究者やと思いましたものな

法隆寺や薬師寺に参拝に来てもすぐに帰らんとよく見て下さいな
学校で習ったここが千三百年たった日本で一番古い建物やとか これが唯一白鳳の建造物やと言うことではなく ここにどれだけの人が参加してこれを造ったのか 全て人の手で造られたんやということを ちょっとでも考えてくれるといいですな
これらの建物の各部材はどこにも規格に はまったものはありませんのや
千個もある斗(ます)にしても 並んだ柱にしても同じ物は一本もありませんのや
よく見ましたらそれぞれが不揃いなのがわかりまっせ どれもみな職人が精魂込めて造ったものです
不揃いながら調和がとれてますんや すべて規格品でみな同じ物が並んでもこの美しさはできません
不揃いやからいいんです
私は長いこと法隆寺や薬師寺の古代建築を見て不揃いの木を扱ってきましたが 自分が育てられて来た徒弟制度が全て悪いとは思いませんな
むしろこんな時代やから 個性を大事にして人を育てるという意味ではもっと見直されてもいいんとと違いますか

 木のいのち木のこころ 天 の章から抜粋


長々と抜粋の分ばかり書きましたが これに匹敵する文章力を私は持ちませんのです

要するに 実際に自分でしてみて初めて物事という物の本質を理解し 仕組みも解ってくるということではなかろうかと

そんなことは誰でも解るわ あんた あ○ちゃうかと言われるでしょう 
その あ○なことができずに 右往左往しているのが世の中の大半とちがいますやろか?

個性を伸ばす 個性を生かす 人にはみな個性があります みんなそれぞれ違うのです

口では個性が大事と言いながら みな同じように並べてしまうのが今の教育ではないですか?

親も言います 私も言いました
子供の個性を伸ばしたい では 個性を伸ばすことを真剣に考えていますか?
簡単に口にでき 何だか高尚なようなそんな言葉に聞こえて 子供教育に熱心なように聞こえるから言っているのではないですか?
子供と真剣に向き合うことが つい面倒くさくて個性云々が出てきたりしませんか?

子供が自分の思う方向に行っていてくれさへすれば いい子で よくできた子で 安心していられます
それは 親が楽だからではないですか? 心配することがしんどいからではないですか?

子供たちが小学生の頃の私を思うと 何と傲慢で恥ずかしい親だったのだろうと思います


棟梁の条件は人を統べること

人間には癖があります 根性の悪いのもおりますと西岡棟梁は言います

しかし 根性の悪い癖の強い人間もぴたっとはまる所があります 
癖を持った木が建物の何処かにぴたっとおあつらえ向きにはまるように

その癖を見抜き その癖を生かす使い方をするのが棟梁だと言います

どれだけ腕のいい名工でも 一人で堂は建てられません
大勢の人がそれぞれの場所でそれぞれの仕事をするから堂は建つのです
個性を見つけ 引き出し 仕事をさせる(能力をのばす)これができてこその匠です
~訳の分からないまとまりのない分になりました
まあ これも私の一面ですから ここに書き留めておきます 長文駄文失礼しました


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by hanarenge | 2011-10-16 12:04 | 奈良


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