心の万華鏡  

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2011年 04月 02日

足の痛みと心の痛み(あるルポを読んで)

四月一日 孫ちゃん達に会いに行った帰り 足を挫いてしまった

右足はくにゃりと曲がったまま 力が入らないので しばらくうめきながら座っていて
右足を引きずりながら 帰って来た

初めて経験するひどい捻挫で 足関節の外側は腫れあがって内出血もしている
松葉杖をついてやっと歩ける程度 階段の多い我が家でうめきながら暮らしています

何もしないので 時間は有り余っています

鎌田慧(さとし)の六ヶ所村の記録を 読み始めた Wikipedia 鎌田慧

「内容(「BOOK」データベースより)
下北半島六ヶ所村は冷害・兇作相次ぐ不毛の土地だった。戦後入植した開拓農民が耕し広げたその農地に次々と「開発」が訪れる。砂鉄製鉄所、精糖工場、石油コンビナート、夢の工業地帯計画はすべて中央大企業の土地ころがしに終った。そして1984年、人類の生存に最も危険な核燃料廃棄物処理場建設計画がふってわいた…。一つの地域に展開する資本の収奪と農民の闘いを、20年を費した取材をもとに描く、鎌田慧渾身の書下し大河ルポルタージュ」以上amazon.co.jpより引用


青森県六ヶ所村 原発事故で 核燃料廃棄物が 送られる再処理工場の有る所くらいの理解でしかなかったのだが 六ヶ所村と言うのは六つの村が統合されてこの名前になったのだと言う事も初めて知りました

開拓農民の懸命の努力で 酪農や ホタテの養殖と言った事業が成功して来てこれからと言う時に 不意にわき起こった「開発」の話
それは ずっと前に 其処に住む農民の誰も知らないうちに 国策として計画され そして巧みな計略でそっと始まったのです

「開発」は今の日本を形作る上で 避けては通れない道で 1960年代から一気に加速したように思います
何も知らない小学生の私は 電気が当たり前の生活でしたが 私の村も貧しい村でした
南と北では もっともっと事情も違い 生活の程度も違っていたでしょう

村を上げての反対運動は 下火になり やがて 離農する人々
牧草地や畑 田んぼが有った六ヶ所村は誰も住まない元の原野に戻っていきます
そこに 無粋で巨大な石油タンクが覆いかぶさるように立ち並び 村人の開発への夢は消えて行きます
それから そこについに 再処理工場が建つ事になったのです

追記です(六ヶ所村のすべてが原野と再生処理工場になった訳では有りません) 
(六ヶ所村の地図を見ると 再生処理工場の近くに住宅があります ある意味これは恐ろしいです)

開発の文字に もっと違った意味を村の人は見ていたのだと思います

あの時代 工業化がそこここで図られ 大きな石油コンビナートや化学工場が造られ
公害がクローズアップされました
公害は その前から 広がっていたのですが 企業と国によって隠蔽されていたのです
今の原発も 突き詰めれば ここに行き着くのだと思いました

まとまりのない文章になりました
足の痛みは 時間が経てば直ります
土地を騙されるようにして奪われた人々の 癒されない痛みは 場所を変え 形を変え 続いているのです 
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by hanarenge | 2011-04-02 18:17 | 心模様


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