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2016年 12月 16日

ナンチャッテ Elvisサンド

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Elvisが 子供の頃からお母さんに作ってもらっていた サンドイッチ

どこかでレシピを見てうろ覚えのまま作ってみました

中はベーコンとバナナ

ベーコンとバナナの甘ジョッパさが、美味しいです

焼いたベーコン&バナナをパンに挟んだらフライパンに戻してバターで焼くというより
揚げる感覚らしいのですが、それはちょっと・・・・・・
なので、バターを溶かし入れて軽く焼いてみました

10枚切りの食パン2枚で作りました。

ランチにちょうど良かったです。

キッチンを掃除中 少しでも、しとかなくっちゃね。

午後からケアマネジャーさんが来ます

母は、今行っているショート先がお気に入りです。

以前行っていた所は、デイサービスだけにして、新しいショート先を探してもらいました。
母のメガネにかなってよかったとおもいます。

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by hanarenge | 2016-12-16 13:17 | Elvis | Comments(0)
2016年 04月 25日

Elvisの事(ディクシーとElvis 3)

Elvisとディクシーは、ますます離れがたくなり、ある時など今すぐ結婚しようと思い立ったほどだ。
アメリカには、そう言う郡と言うか街が有って、そこでは、何時でも誰でもすぐに結婚の手続きが出来た。
でも、いつもそこから先の事で、悩んでしまうのだ、どこに住むとか、どうやって暮そうかとか。
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それに、ディクシーはまだ学生なのだ。両親の心配もそこにあった。

結婚しよう、だけれどそれは今ではない、そして結婚までは純潔でいよう、二人はそう約束した。

このまま、何事も無かったら、今までの生活が続いて行けば、きっと二人は結婚しただろうと私は思う。
幸せになれたかどうかは、誰にも解らないけれどね。

私の思いとしては、二人は幸せになって欲しいと思う。

だけど、人生にIFはない。


Elvisに電話がかかって来た。

まだディクシーと知り合う前にサンレコードで、Elvisは一枚のレコードを自費で作ったのだ。
少ない小遣いを遣繰りした$4を握りしめて、ありったけの勇気を振り絞ってサンレコードに行ったのだ。

Elvisがスターになっていくにつれ、この話は有名になって行ったのだが。
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写真は サンレコードのサム・フィリップスと助手のマリオン・ケイスカー

曰く 母親のバースデイプレゼントの為に作ったとか、自分の声がどんな具合に聞こえるか知りたかったとか。
色々な説が伝説となって今は語られている。
しかし、このレコードは、その後、長い間行方不明となっていたと言う。

サンレコードのマリオン・ケイスカーとの会話は有名だ。
『貴方は何を歌うの?との問いに、僕は何でも歌います』
『カントリーは?イエス・マム ブルースは?イエス・マム』 
『では貴方は誰に似ているの? 僕は誰にも似ていません。』

この時、もしシンガーが必要ならとElvisは彼女に言っていたのだ、必要なら電話すると言ってくれたがその連絡は無かった。

それが、この日電話が有ったのだ。
もちろんElvisは飛んで行ったに違いない。この日がElvisの運命の日だったのだ。

「Elvisは、時々このスタジオにフラッと顔を出していた。」
「忘れられない為でもあっただろうし、このスタジオからは結構有名なシンガーが出ていたから、惹かれるものが有ったのかも知れない。」

しかし今、Elvisの心を捕らえている問題は、ディクシーと3週間も会えないと言う事だ。
しかも、Elvisとディクシーが出会った教会の聖歌隊、ブラックウッド・ブラザーズが乗った飛行機が墜落事故で、大勢のメンバーが亡くなった。
ディクシーの家に来たElvisは泣いていたと言う。ディクシーも、事故を知ってショックを受けた。
きっと2人で大泣きした事だろう。

このタイミングで、彼女は家族とカリフォルニア旅行に行くのだ。恋人たちに取って初めての長期の別離なのである。

ディクシーは、こんな時に出かけたくなかったが、この旅行は、だいぶん前からの計画で変更は出来ないのだ。
現在なら、ネットやスマホなどでいつでも連絡できるけど、この時代、電話か手紙くらいしか連絡手段はないし、Elvisもディクシーの家も裕福ではない、はっきり言えば貧しい家庭だ。
旅先のディクシーが、いつも電話を使える環境にあるとは限らない。

2人は離れていたくはなかったし、離れていることに不安もあった。両親は2人を気遣い、旅行の前日には出来るだけ2人で居られるようにしてくれたと言う。

出来るだけ電話や手紙で連絡を取り合い、決して心変わりはしないと2人は固く誓い合った。
この純情!!!



彼女がいない間、Elvisが、吹き込んだ歌は、ヒットの兆しを見せ始めていた。

ディクシーに打った電報は「僕の歌が凄いことになっている、すぐ帰れ」とあった。

帰って来たディクシーに、Elvisはきっと、苦労した吹き込みの事や、ラジオ局でインタビューを受けた事など話して聞かせたに違いない。

トラックドライバーとして働き、家計を助けていたElvisにとって、もっと稼げるようになる事は、喜ばしいことだったろう。
何と言っても、母親に楽をさせてやりたいと、小さい時から思い続けていた彼だ。
それに、稼ぎが増えれば、結婚への道も近くなろうと言うものだ。

少ない週給の中から、自分たちのデート代とガソリン代を取りのけるだけで、当然のように家にお金を入れていたのだ。

ヴァーノンもグラディスも、ほとんど仕事はしておらず、実質家計はElvisが見ていたのだが、ディクシーは、彼がそれを嫌々ではなく全く当然のように、そうするのが当たり前のようにしていたと言っている。

やがて、Elvisは各地を演奏して回るようになっていく。仕事を辞めてプロの歌手になったのだ。
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Elvisは、ディクシーが、彼のいない時に他の誰かと出かけたり遊んだりするのを、嫌がった。
彼の不在時は自宅かプレスリー家に、居て欲しかったのだ。

そして色々な事が変わっていったのだ。

始めは、まだ笑っていられた・・・・が、どんどん忙しくなり、今までのようには逢えなくなっていく。

今までは、Elvisが世間を求めた。俺を見てくれ、俺の歌を聴いてくれ、そんな感じだったろう。

今や、世間が彼を求めていた。何時でも何処でも、Elvisの行くところには人がむらがった。

そして、Elvisは、新たな自分の魅力に気が付いたのだ。

女の子は、何時でも何処にでもいた。彼女たちのいない所を見つけるほうが難しい始末だ。
彼女たちの中にはElvisに目をとめて貰う為だったら何でもするような子もいたのだ。

彼は、旅先で女の子たちといる事も、あった。
だけど、ディクシーには、それを止める手立てはなかった。(もちろんディクシーは、そういう事を全て知っていたとは思えない、きっと、Elvisは、そんな事を彼女に言わなかったと思う)
もちろん、ファンは大切だ。それは解る。

彼の不在中は、家で大人しくラジオでも聞いているしかない。この頃の喧嘩は、その事が原因だった。

あなたは3週間も留守になるのに、その間ずっと私は家にいるの?

時には、怒ったElvisが指輪を取り上げることもあった。
だけど、まだディクシーが、ポーチにいる間に、彼が戻ってくるのだ。

お互いに最後は抱き合って泣いてしまうのだった。

ディクシーは、Elvis以外の男の子と出かけたり特別な関係になったことなどない。
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彼はディクシーに正直さと誠実を求めたが、自身は必ずしもそうではなかったと思う、かと言って、ディクシーを裏切っているとか、そういう意識は多分なかったのではないだろうか。

こう言っては言い過ぎかも知れないが、旅先での事は通りすぎて行く風景のようなものだったのではないだろうか。

「彼の範疇」では、ディクシーに誠実だったのだろうと思う。

(後年のElvisもツアーに明け暮れたが、彼はプリシラにも家で待っていて欲しかったのだ、彼はちっとも変わっていないのね)

それに何と言っても、Elvisはディクシーを愛しているのだ。

ディクシーは、不安だったと思う。彼がどんどん手が届かない所に行ってしまうのだ。

彼に、歌を止めて今までの様にずっと私といて。などとは、言えない。Elvisが歌手になるのをどんなに願っていたか良く知っているもの。

とは言え、ディクシーはElvisが自慢だった、ハンサムでどんどん人気が出ている若い歌手、その彼が恋人なのだ。

逢った時はいつも優しく誠実で、彼が世間で言われるような人では無い事は、ディクシーには解っていた。

Elvisと一緒に行ったダンスパーティーで、ディクシーはどれほど彼を自慢に思い、嬉しかった事だろうか。

ツアーで、忙しかったが、それでもクリスマスは一緒に過せた。
Elvisは、ディクシーに素敵なプレゼントを用意していた。
もちろん、ディクシーも、プレゼントを用意していた。楽しいクリスマスだった。
しかし、変化は目前に迫っていたのだ。

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メンフィスでの野外コンサートで。(まだElvisの舞台衣装=袖の膨らんだシャツは、母親の手製だ)

コンサートはファンが熱狂して大変な騒ぎだった。
ディクシーは、彼のコンサートを、彼の両親と一緒に、特別席で見た。(Elvisは家族やディクシーの為に特別な席を頼んでいた)
大変な騒ぎの中で、彼女は貴方たち何を騒いでいるの?黙って歌を聴きなさいよと思ったそうだ。
この彼女の気持ち、解る気がするなあ。とても複雑だったと思う。
人気が出るのは嬉しいけれど、Elvisはもう自分だけのElvisではなくなりつつ有る。。。。。

落ち着くかと思ったが、彼の人気は狂乱状態になっていった。
何処まで行くのか、何時まで続くのか、誰にも解らなかった。

ツアーでますます忙しく、もう以前のように逢えなくなっていた。それでもお互いに大好きだったけれど。

やがてElvisは、パーカー大佐のマネジメントで全米デビュウーを飾り、レコードも売れに売れた。

もう戻れない、2人の素朴で暖かい時間は過ぎ去ってしまった。

嫌いになった訳ではない、好きかと言われたら好きだと言える。Elvisも悩んでいた。

仕事に忙殺されて、余裕も何も無いのだ、ただ歌って移動してまた歌って、また移動、その繰り返しだ。

逢う事も出来ない、疲れ果てて電話も出来ない時もある。これでは付き合っているとは言えないだろう。

世の中にはそれでも絆が切れずにいる人もいる、しかし・・・・・

Elvisもディクシーも解っていた、もう続けられないと。(自然とそう言う方向に向いて行ったのだなあ、淋しいけれど。)

ディクシーが、終わりだと思うと自分の両親に話した時の事だ、これが泣ける。

彼と別れて、誰か別の人と結婚していて、Elvisが、僕が間違っていた、戻って欲しいと言って来たらどうするの?と母親に聞かれたときに、ディクシーはこう答えた。
『誰と一緒になっていても、別れてElvisの元に行くわ」その時は本当にそう言う気持ちだった、何の迷いも無く答えたと。

Elvisの母親のグラディスも、ディクシーがElvisと別れる事を聞いて、悲しんだと言う。

彼女も、また、Elvisを失った1人なのだ。可愛い息子はスターになって、自分の手から飛び立って行った。
もちろん、Elvisは母親を1番愛しているし、息子だから絆が切れる訳ではないが、やはり自分だけの我が子ではないのだ。

彼の人気と比例するようにグラディスのストレスも増して行ったのだ。

こうして、二人の道は右と左に別れて行った。

ずっと同じ街にいたから、時々は友達として会っただろうし、話もしただろう、彼の事は嫌でも耳に入って来る。

ディクシーは、幸せな結婚をした。

そして、Elvisは、メンフィスから世界へと向ったのだ。

もう戻れないし、戻るつもりも無かった、自分の力を試すのだ。

栄光とそして孤独に彩られた人生が始ったのだ。

LAST TRAIN TO MEMPHISより


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by hanarenge | 2016-04-25 00:59 | Elvis | Comments(0)
2016年 03月 04日

Elvisの事(ディクシーとElvis 2)

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翌日の朝、Elvisの姿は教会になく、ディクシーはしょんぼりしてしまったのだが、その夜、Elvisから電話が有った。
もう、Elvisは水曜日か木曜日まで待つ事なんか出来なくなっていたのだ。
その夜映画を観に行き、水曜日にもまた映画に行った。
両親に会わせない色々な言い訳を、Elvisと両親にしていたディクシーは、知り合って一週間めの土曜日に家に迎えに来たElvisを、家族に紹介したのだ。
もちろんElvisは紹介して欲しいと思っていたし、ディクシーもそうするつもりでいたのだ。
しかし、彼の見かけが普通の男の子と違っている事を忘れていたのだ。
姉たちには話していたけど、彼の外観の事はきっと言っていなかったのだろう。
初めて彼を見た両親や姉たちは仰天しただろうと想像するのはかたくない。
案の定、ディクシーは母や姉たちに、Elvisのいないキッチンで叱られた。あんな子と付き合うのはどういう事?
ディクシーは、一生懸命にElvisの弁護をした。見かけと違っていい子よ、知り合ったのは教会だし。
そう言いながら、家族の誰かがElvisが傷つく事を言って、彼が帰ってしまわないかと、気がかりだったと言っている。
あの長い髪に、翌日、散髪代だと言って叔父がElvisに2ドル渡そうとさへした。
そんな事は問題にはならなかった、二人にはどうでも良かったのだ。
そしてElvisは、その夜、ディクシーに指輪を贈ったのだ。
つまり、二人はステディになるのだ。他の誰とも付き合わないと言う事だ。

それからしばらくして、今度はElvisがディクシーを家族に紹介した。
Elvisは、母親が色々とディクシーに質問している間、まるで落ち着かず、二人の側をウロウロしていた。
早くこの面接を終わらせて、彼女を送って行き、どう思うかと母親に聞きたかったのだろう、好印象を持って欲しいと切望していたと思う。

母親は、細かい事を色々聞いた。

そんな母親に気に入られたのかどうか、気になっていたのだろうが、Elvisに母親の答を聞いで、ちゃんと認められたと確信したとディクシーは後年述懐している。

こうして二人は毎晩のように会った。会えない時は電話で話した。長時間の心を込めた電話で、長電話が過ぎると叱られたりもした。
「両親は私が真剣であるのが解って、Elvisはいつも礼儀正しいし、二人の関係が誠実なものだと解ってくれた、私たちの品行に関しては信用してくれた」
つまり、Elvisは娘の恋人として家族にちゃんと認められたのだ。家族もElvisが大好きになったそうだ。

もちろん、ディクシーもElvisの家族に認められ、いつも遊びに行ったし、Elvisの母親と買い物に行ったり、料理を教えて貰ったりと可愛がられた。お母さんと仲良しになれた。

15才のディクシーの目にも、プレスリー家は自分の家とは少し違うと感じる所が有った。

それは、父親のヴァーノンだった、酒飲みでもなく勝手な振る舞いもしないし優しい父親だったが、この家族の中では部外者のようだった。「Elvisとお母さんはお互いを愛し合い尊敬し合っていたけれど、お父さんに対してはそうでもなかった」

家庭も少し違っていた、ディクシーの家庭は世の中を友好的に見ていたが、プレスリー家は世の中を疑わしい目で見ているとディクシーは感じた。
開放的な家庭と閉鎖的な家庭、Elvisには親戚以外の友達はいなかった。
しかし、そんな事より若い二人は会っているだけで楽しかっただろう 
お互いの家の玄関のポーチに座って、Elvisはディクシーの為に、「トゥモロウ・ナイト」や「マイ・ハピネス」などの甘いバラードを歌ったりした。
店ではミルクセーキを注文したり、彼女の家から少し離れた公園のベンチでデートをした。
もっと大きなデートは、北メイン通りで、映画を観る事だ。つましいデートだったが、とても楽しかった事だろう。
ピーター・ギュラルニックの文章を追っていると、二人の弾む心が伝わってくるような気がする。

まあ、順調に滑り出した恋は、二人に結婚を意識させる所まで行ったらしい。

もちろん喧嘩も有った、もうお別れとなっても、結局、ディクシーが家に入るか入らないうちに、Elvisが戻って来るのだ。
二人は別れる事なんて出来なかった。
いつしか結婚の話をするようになり、二人は家族に祝福されたいと思った。

教会に行き、映画を観て、Elvisは同級生に彼女を見せびらかしたり、故郷の町に帰った時にもディクシーを連れて行った。
自慢したかったのだろう、都会で学び、可愛い彼女を連れている。俺を見てくれよと言うような気持ちだったのだろう。
やがて、もっともっと歌を歌って聞かせてくれるようになり、彼女はElvisがとても音楽が好きで、一度聴いた曲はほとんどピアノで弾けると言うことも知った。
「何でも一緒にやりました、何でも話しました。Elvisは私に誰にも言っていないに違いないと思う事を話してくれました。でも心の中の大きな望みは喋らなかったのかもしれません』、
それはかけ離れた夢のようなものだったから、それはいつか歌手になると言う事だったと私は思う。

Elvisがこの年下の恋人に、どれほど心を開いて打ち明け話をしたのか、彼の内気な性格を思うと私まで嬉しくなってしまう。
母親以外に初めて、自分だけを見つめてくれて自分だけを思ってくれる人が出来たのだ。

ラジオ局に放送を見る為に行く事も有った。ディクシーは初めてだったがElvisは慣れていて、ジェイムス・ブラックウッドにちょこっと挨拶をして、前方の席に座る。音楽が始ると、Elvisはじっとしていられなくて指で椅子を叩いたり足が動いた。
ディクシーの母親はそれが気になって、文句も言ったりしたが、彼女は必ず恋人を弁護した、が、困惑もした。
こう言う仕草は多分、誰もしなかったのだろう、だから人前ではしないで欲しいと願った。
この下り、ディクシーの健気さが解る気がする。

時々Elvisの従兄弟と遊ぶ事も有ったが、そう言う時、Elvisは従兄弟とふざけ合い、何か解らない冗談を言い合っていた。
ディクシーがのけ者にされた気持ちになったのも解る気がする。

「お互いに全く水入らずになっているのに、Elvisを照れされるのは簡単になっているのに(彼ほど簡単に照れる子はいないと思っていた)私は部外者になった気がした」
そうは思いながら、ディクシーはElvisの生来の優しさと二人だけの夢と自信を思い出す。
「Elvisは見かけ倒しではなかった、見せかけの人じゃなかった、優しいって事が解る、謙虚だってことが解る。人に嫌な思いをさせまいとしている事が解るんです」

デートの最後は公園だった、幾晩も二人は公園に来た、仲間と一緒でも、従兄弟と一緒でも、二人だけでも。
湖を見渡せる休息所は、コーラを買ったりジュークボックスを聴いて踊ったり出来る所だ。
駐車場には10組くらいのカップルがいて、Elvisはギターを取り出して車にもたれて弾き始める。
「内気と言うのではなく、声をかけられないと駄目だったんです、押しつけになるのが嫌だったんだと思う。
誰もそんな図々しい事しなかったんです、ポピュラーな曲とか、古いブルースをあれこれ歌いました、古いスピリチュアル風なのも。おかしな事にはじめからElvisはみんなを圧倒するような所があって。みんなが変身させられてしまうような感じなんです。注目させるような事はしていないのに、皆がそう反応する。〜〜〜いったんElvisが歌い始めると、皆が興味を示すのです。ハミル牧師が教壇にあがるとみんなの注目を引くみたいに、Elvisにみんなの目が行くんです」
「皆、うっとりしてしまって。。。。メンフィスの住民全員を相手にしてだって歌えたと思う」 


その時ディクシーの頭に有ったのは、とにかくリヴァサイド公園にいつまでも行き続け、Elvisが自分と友人を相手にいつまでも歌い続け、いずれ結婚してそのまま人生が続くと言う事だった。LASUT TRAIN TO MEMPHISより

この二人の事は、ギュラルニックの著書の中でも、一番好きな所です。
だからどうしても長くなる (笑 まだ続くのだ)
まだまだ、一般人だったElvisの生の姿を一番良く知っているディクシーの話は、微笑ましく、健気で、可愛らしい二人が浮き彫りにされています。

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by hanarenge | 2016-03-04 21:58 | Elvis | Comments(0)
2016年 03月 03日

Elvisの事(ディクシーとElvis 1)

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Elvisとディクシー・ロックの事を書こう。

互いに初恋と言ってもいいほどの二人だと私は思う。

この二人が出会ったのは、Elvisがまだサンレコードで初めてのレコードを自費で作る前の事だサンレコードでデビューする前だ。


訂正です 1953年の夏に$4で一枚のアセテート盤の録音をしています。(曲名は My Happinessと That's When Your Heartaches Begin)

Elvisは、1954年の1月に再び定期的に教会に通い始めたが、その教会にはディクシーも家族と通っていた。

ディクシーはまだ15才、明るく魅力的な女の子だった。

ボーイフレンドはいたけれど別に特別な事は何も無かった。

そしてその教会の聖書教室の勉強で初めてElvisと出会ったのだ。

新しいその男の子は、ピンクと黒と言う「変な服装」で髪は長く油ぎっていてそわそわと落ち着かず、何とかグループの仲間に、なりたがっているように見えた。

他の子たちは皆その子の事を笑って少しからかったけれど、それは外観の事だった

聖書の勉強については真面目そうだった。

とにかくすごく皆とは違っていた。

他の男子は父親の複製みたいだったけれど。

でも、ディクシーには、もっと別の点で違っていた。

「よく見ると、あのときでも本当に内気だった。

奇妙だったのは、人の注意を引く為なら何でもするくせに、本当は周囲の人に対してと言うより自分に対して何かを証明したいって感じがした事です 心の中で自分は人とは違っていると解っていたんだと思います。

初めて会った時、他の人とは違うってわかった」

Elvisの印象をディクシーはこう述べている。

変わった格好の変な男の子と言う皆の見方に対して、ディクシーには、真っ直ぐにElvisの事を見る目があったのだと思う

1月末の日曜日、ディクシーは女子グループと次の週末の事を大声で話していた。それは男子のグループに聞こえるようにだった、いや、その中のElvisの耳に届けたかったからだ。

Elvisが来るなんて保証は無かったし、ディクシーは、自分でも図々しいと思ったけれど、どうしてもElvisに会いたいと思ったのだ。

女の子は時にはとても狡猾だ(良い意味で)

そして週末にスケートに行った時、リンクの近くにElvisが立っているのを見つけたのだ。

だけど彼は滑らなかったらしい(滑れなかったと言う方が正しいのかも)

では、何故そこにいたのだろうか?

もちろん、教会での会話を聞いての事だ。

Elvisも、きっとディクシーの事を気にかけていたのだろう。

だが、後年のElvisからは想像出来ないが()その時の彼は、ディクシーに話しかける事が出来ずモジモジとしていたらしい。

と言うか、何気ない風(を装いながら)でフロアを見下ろしていたらしい。

この気持ち解るなあ!

可哀想になって、ディクシーから自己紹介をした、らしい。

そして、やっとElvisがコカコーラを飲みに行くかいと誘ったので、二人はリンクを離れた。

背の高い、はにかみ屋のElvisと溌剌としたディクシーが目に浮かぶようだ。

もちろん二人とも内心はドキドキしていたと思う

まるで重荷を下ろすのを待っていたかのように、二人は話し続けた。

もうフロアの方には戻らなかった。

その子は、「ソングフェロウズ」の一員になりたい事を話した。

ブラックウッド・ブラザーズは百人からの聖歌隊でメンフィス中に知られていたのだが、ブラックウッドの甥のセシル・ブラックウッドが

この教会(Elvisやディクシーの通う神の集会教会)の牧師の息子のジミーと一緒にソングフェロウズと言う若手カルテットとでも言うべきものを始めていたのだった。

Elvisはゴスペル歌手になりたかったのだと思う。生涯を通じて彼がゴスペルを愛した事は良く知られている事だ。

とにかくその日の最初のセッションは午後10時に終わったが、ディクシーはいつものように他の女の子の友人と一緒にバスで帰らなかった。

Elvisが二回目のセッションに残らないかと聞いて、彼が側に立っている間にでたらめの電話番号を回して家に電話する振りをした、(家に電話が無い事を知られたくなかったからだが、遅くなる事を隣に住む叔父夫婦に説明しなくてはならなかった、教会で出会った素敵な男の子の事を話して遅くなる事も話した)

ディクシーはそんな事をするのは初めてだったが、あれこれ考えない事にしたそうだ。

でも、その後二人は2回目のセッションには残らなかった。

電話の後でElvisがドライブに誘い、通りを走りながら話し続け、Kと言うドライブインでは、ミルクセーキとハンバーガーを食べながら、延々と話し続けたのだ。

Elvisがこんな風に話した事は、グラディスを除けば、初めての事ではなかっただろうか。

とにかく、意気投合したのだと思う。

Elvisは乗って来たリンカーンのドアを開けてやりながら自分の車ではない事を丁寧に説明したそうだ。

(これは自分の車を持っていなくても付き合うつもりが有るのかどうか知りたかったからだとElvisが後で説明している)

ここの下りがとても良いなあ。

真面目で不器用なElvisが目に浮かぶ。

そして、食事をしたドライブインの駐車場で、二人は初めてのキスをした。

それは貞淑なキス、愛をこめたキスだった

お互いにすっかり夢中になりどちらにも初めての経験と言う感じであった。

家まで送ってディクシーが車を降りる前に、また週末に合う為に電話をするとElvisが囁いた。

こんなに遅くなって、父親にきつく叱られる(殺される=比喩的に)と思ったが、そんな事は気にしなかった。

ディクシーは、間違いなく恋に落ちたのだ。

LAST TRAIN TO MEMPHISより


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by hanarenge | 2016-03-03 22:49 | Elvis | Comments(0)
2016年 01月 31日

Elvisの事


Elvis Presley


Elvis Presley





Eddy Arnold

Eddy Arnold



Elvisとエディ・アーノルド
この二人には共通点が有る どちらもパーカー大佐がマネジメントをしていたのだ
エディ・アーノルドの方がずっと早く、Elvisがサンレコードから売り出した時には、すでに人気者の歌手だったのだけど。
とにかくエディはパーカー大佐のやり方に我慢がならなくなり、手を切ったのだ。

ピーター・ギャラルニックの「LAST TRAIN TO MEMPHIS」を、今、読んでいる最中なのだけどね
邦題はエルヴィス登場!! ちょっと野暮ったいなあって思う題名なのだ。

まだ、本の中では、Elvisはやっとサンレコードで、ザッツ・オール・ライトとブルームーン・オブ・ケンタッキーをレコードにして、ビルとスコッティとそしてサンレコードのサム・フィリップと一緒に、まあ、どさ回りをしている所なのだけどね。

そのどさ回りなんですけど、どんどん人気が出て来る所なのです、ここら辺が体力的には苦しかったけど一番楽しかったのではなかったかと思いながら読んでいるのです。

Elvisの沢山のアルバムの中に、Elvisの原点とも出発ともなった、サンレコードでのセッションが収められているアルバムが有るのです。
それこそ、昼間仕事をしながら、Elvisは、何とか曲を出したい一心で、色々な曲を歌っているのですが、その中から、ザッツ・オール・ライトやブルームーン・オブ・ケンタッキーが日の目を見るのですね。そして大ヒットになっていくのです。


そして、そのセッションで、当時発売されなかったけど、Elvis人気で、色々な未発表テイクが発掘?されて、現在セッションのアルバムになっているのです。

発表されなかったけど、この歌で弾けたとか、この曲はとても軽くて良かったとか、最後の曲でやっと収まったとかね、その曲はグッド・ロッキン・トゥナイトだったとか。そう言う事もセッション風景の中の一環として、関係者に取材して書いてあります。
これってワクワクしますよ!!!今全て聴けるんですもの。



で、今読んでいるのはまさにそのセッションのシーンなのです。

息も絶え絶えになりそうな具合に、歌って、でも、駄目で、まだ駄目で、Elvisは、もう暗澹としているんですね。
サムからは、もっとなんとかせえと言われるし、でも何とか出来るかどうか自信はないし、しかし、自分の頭の中にはちゃんと音があって、それをどうにかして出したいと、もう消耗し切っているんですよね。
で、最後に出たと言うか、軽いノリでいつも歌っている旋律をやってみたら、それや!!!なんで今まで出せへんかったんやなんて、サムに言われて、え?これでええん?なんて言う具合にザッツ・オール・ライトが完成すると言うそんな所^^

サムの見解は、「Elvisの独創的想像力を自由に展開させることにした。」「素朴であって欲しかった そこの所で心で聴いているものを目にする事が出来 ああ、こいつは確かに聴かせるって言えるんです 何もかもがぐさっとくるものでなきゃいけない。僕にはあのセッションのどれもが「風と共に去りぬを撮影しているようなものだった」エルヴィス登場より抜粋

この次期に、サム・フィリップスに巡り会えたのは幸運と言うか暁光と言うか、これも運命と言えばそうだが。。。。
これからのElvisの活躍を思うと、縁とは不思議なものだと思ったり、まさに必要な所に必要な人がいたと思えたりする。


そして、どさ回りも、人気と話題と共に少しづつ大きな所へも出られるようになって、そこで、エディ・アーノルドにも会う訳なのです。
エディの曲をElvisもカバーしているので、ちょっと貼ってみます。
Elvisのは持っているのですが、エディのは The Cattle Call しか持っていないのです。
また、集めようかな、聞き比べるのも面白いものね。
と言う事で、ただいま、読書中でなかなかネット出来ない状態です。

ちょっと編集しなおしました。いつもぶっつけで書くから後から読むと直す所いっぱいね。


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by hanarenge | 2016-01-31 00:28 | Elvis | Comments(2)
2016年 01月 11日

Elvisの事 5 



Elvisは人気が出るにつれ、世間から叩かれた。

大人たちは、彼の歌やパフォーマンスが理解出来なかった。

あんなに腰を激しく動かして、あんなに足を震わせて あれは何なのだ。

あの髪型 あの服装 全てが許してはおけなかった

白人を堕落させる歌だとか、卑しい奴だとでも言いたげにElvisを扱った。

彼のレコードを叩き割ったり、彼の人形を焼いたり、果には非ぬ噂を流したり、まるで集団ヒステリーのようだ。

当のElvisは、酒も煙草もやらない、真面目な南部の青年だったんだが、いかんせん、彼は新しすぎた。

彼は黒人のように歌う白人だった、実際彼の歌をラジオで聞いた人たちは、Elvisを見るまでずっと黒人だと信じていたそうだ。

時代は、公民権が認められたとは言え 根強い差別が残っていたのだ 今でも残っているが今よりもっと強烈にストレートにそれは表に出ていた。

そう、彼は異質だったのだ。異質なものを受け入れるのは勇気が入る 自分と違うものを認める事は大変だ。

彼の外観 彼の歌 彼のステージでのパフォーマンス Elvisは嵐の中に投げ込まれたように攻撃された。

もちろん大人たちは彼はすぐ消える あっという間に使い捨てられて忘れ去られると高をくくったのだが・・・・・

意に反して彼の人気はどんどん大きくなり、とうとう、テレビも彼を無視する事は出来なくなったのだ。

何せ視聴率が違うものね。背に腹は代えられぬ 商売だ。

そんなこんなで、当時の一番の人気番組、エド・サリバンショーに出演したElvisは、延々と上半身だけのアングルで放送された。

今だったら、笑ってしまうし、驚いてしまうけれど。
こんな扱いを受けたスターは、黙ってはいないだろうが、Elvisは受け入れたらしい。

時代がそうだったのか、この頃の事は詳しく解らないけれど、胸に詰まるものが有る。

長々と書いたけれど、Elvisのゴスペルは本当に素敵です。彼の深い声がゴスペルに良く合うと思う。

エド・サリバンショーでも、自分の持ち歌以外にゴスペルを歌いました。

そして、サリバンは「この青年は真面目な立派な若者です」と紹介したとか。

やがて、段々とゆっくりとでは有るが、Elvisは世の大人にも認められて行くのだ

まあ認めざるを得なくなったと言う所だろうけどね。

あらら、一体何を書きたかったのだろうか 私は(苦笑)

実はこのサリバンショーでの、ゴスペルの映像を探していたのだ。

まあElvis好きと言う事で許して下さいな。

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by hanarenge | 2016-01-11 22:54 | Elvis | Comments(0)
2016年 01月 09日

Elvisの事 4

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YouTubeの、貼付けが解ったので 


1月8日はElvisの誕生日 世界中で彼の事がFBやブログに書かれている事だろう。

寒い冬の日に、ミシシッピーの小さな町テュペロの貧しい白人の家に生まれた彼が、デビューしたときの衝撃!!

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20才の若者たった1人が音楽で世界を揺さぶったのだ。


彼はアメリカンドリームの象徴のような人だが、けっして驕り高ぶった人では無かった。


彼の根っこはよくも悪くも南部であり(ある意味では)田舎者でもあった。


そして暖かく誠実で繊細な心の人だった。


彼のイメージがどうも不当に扱われているような気がするのは私のひがみだろうか。


彼の一面だけを捕らえて、面白可笑しく茶化した世間に対して、彼は何一つ抗議の声をあげなかった。


Elvisが決して傷つかなかったなどとは言って欲しくない。


しかし彼はそんな事はどうでも良かったのだろうとも思うのだ。


彼は繊細だけれど向こう見ずな図太さも持ち合わせていたと思うのだ。


私は生前のElvisは知らないが、(それはとても悔しく悲しいけれど)彼の歌を聴いて、彼を好きになって良かったと思う。


彼の良い所も悪い所も、引っ括めて、尚、彼のステージが、歌が好きだ。 文句は言わせない 笑


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まあ、貼付け方が解ったけれど 前のやり方でも良いやん、今のだったら検索名を入れなきゃならんもん、めんどくさい。



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by hanarenge | 2016-01-09 02:18 | Elvis | Comments(2)
2015年 09月 06日

Elvisの事 3

Elvisが伝説となったのは、やはり彼が不幸だったからだと思う。

世界一の名声を手に入れた彼は、しかし、世界一の孤独をも引き受ける事になったのだ。

貧しかった少年時代、彼は母親に楽をさせたいと願った。

家も車も母親に買ってあげたかった。

そして彼は、あるか、ないか、解らない自分の才能を信じて、ひたすらに邁進したのだ。

その道のりは、険しく厳しく孤独なものだったろう

彼は裕福にはなったが、幸せではなかった。

何も不幸でいいとは言わない。しかし、彼が多くの人を引きつけるのは、彼の歌声と生き方が、心にしみ入るからだ。

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メンフィス生まれのカリスマ・シンガーがポップ・センセーションとして躍進した年(1956年)を中心に1時間余りのドキュメント番組のDVD Amazonより引用

この中でElvisは言っている。
「いい子と出会って家庭を持ちたいな、その子といればきっと世界中何処にいても孤独を感じないですむのだ」と

ドイツで出会ったプリシラ・ボウリューは、運命の人だったのだろうか?。
まだ14才のプリシラと24才のElvisは、人の噂はともかく、当人同士は純愛気分だったと私には思える。

彼の事は、良い事も悪い事も溢れている。

「メンフィスマフィアの証言」には、俄には信じがたいような事も書かれている。
(中には腹を抱えて笑える話もあるし、そんな時にはメンバーとエルヴィスの友情と愛情が感じられてちょっと嬉しい)

まあ、ウソも真実も色々と混ざっていると思う。

21才のデビューから、どこに行っても騒がれ、囲まれ、そして大人たちからは徹底的に虐められた。

そんな彼が、心を許して生身の自分を見せる事ができる人は限られている。

Elvisが本当の意味で裸の自分を見せられたのは、母親だけだったのかもしれない。

その母親がいない今、プリシラが彼を支えたと信じたいのだけれど。


人気が出るに連れて、本当の自分を出せなくなり、いつか、自分が何者かもあやふやになっていったのだろうか。

夜と昼が逆転した生活。とんでもないほどの浪費癖。儲けるのは彼でその彼が使うのだから誰にも口出し出来ないのだけれど。

内面はさておき、ハリウッドで映画を録る数年間は、彼は自分の才能を垂れ流しで浪費している様にも見える。

何か内なる危うさを感じながらも、プリシラと結婚して、翌年には父親となったプレスリー。

やっと退屈な映画の契約も終わる時が来る。

そして、68年カムバックスペシャル NBCからオンエアされた、「ElVIS」は素晴らしいものだった
ファンたちはさぞ満足し、世間に対して鬱憤を晴らした事だろうと思う。
ネット時代の今は有難い事にユーチューブにアップされたELVISでそれを観る事ができる



34才の彼は音楽的にも人間的にも円熟した魅力に溢れている。

これを皮切りにElvisはステージに戻って来る。

いや、凄まじいとしか言い様のないコンサート活動に入っていくのだ。

パーカー大佐は商売人だ、売れる時に売ると言う方針だし、Elvisもコンサートに生き甲斐を見いだしただろう。

だが、家庭はどうだったろうか。

コンサートでいつも不在で留守を守る家族は顧みられない、いや、心では大事にしたいと思っていても人間は中々改まって言葉にはできない。
Elvisは南部の男だ、南部では女は家庭を守るのが当たり前という風潮だ(彼の生まれた時代や育った時代)
彼は外で遊ぶ、しかし、プリシラは家で待っていなくてはいけない。

マッチョを気取るElvisは、メンフィスマフィアの手前もあって、中々、プリシラとの時間を持とうとしなかったのかも知れない。本来の彼は、もっと繊細で優しい男だと思う。

Elvisの不在はきっとプリシラにはとても応えた事だろう、淋しさから外に目がむいた。

お定まりのコースだ、男と女の間は金持ちでも貧乏でもそう大差がない。

離婚を切り出されたElvisにしてみれば、青天の霹靂、信じられない思いだったと思う。

贅沢をさせているし、世界中の女性の憧れ(まあ、ちょっとオーバー?でもそれに近いよね)の男の妻なのに。。。。。お前は何でも持っているじゃないか。

いやいや、そうじゃない、もっと私を見てほしい、私の事を思ってほしい、メンフィスマフィアと貴方を共有するのにもうんざりだし、それにどうして、毎回、浮気ばかりするのよ!と言うような所か。
Elvisは寂しがりやだった、だから、回りを知っている人で固めたのだ。
それと、Elvisの事を書いた本を読んでいて感じるのは、彼は、知らない人の前では緊張してしまうような神経質な所も有ったのではないかとも思う。
自分の側には、昔から見知っている人がいると安心したのだろうなと。

メンフィスマフィアの面々は経済的にはElvisに全面的に依存していただろうし、お金をもらいたがる大勢の身内もいただろう。
歌さヘ歌っていればご機嫌だった男の子は、いつの間にか一族の稼ぎ頭になって、大勢の人の面倒を見なければならなくなったのだ。
そりゃあ、ストレスも溜まるよ、羽目を外したい気持ちも解るよ。

しかし、それ故に、その羽目が桁外れだったのだ。

プリシラは、Elvisの破天荒な生き方に疲れ果てたのだろうか。


プリシラと別れてからのElvisは、その生き方が徐々に破滅傾向に向うように思える。

いや実際身体は悲鳴を上げていたのだ。
長年のライトによる目の障害、緑内障で痛みも相当有ったと言う事です
そして、ストレスに寄る過食から来る肥満、深刻な不眠、
高血圧、心肥大 動脈硬化、それを補う大量の薬の乱用と副作用。満身創痍だ。
加えての過密スケジュール。

精神的には、誰にも理解されないという孤独感が増すばかりのElvis、母親を失ってからの虚無感
双子の生き残りと言う罪悪感(彼が生きたから兄が死んだとElvisは終生感じていたらしい)
そして妻の裏切り

もう誰もいないと思ったのだろうか(彼の不行跡が妻の失望を招いたのだけれど)

私は、彼は、ストレスを減らす為のメンタルケアを受けるべきだったと思う。
母親を無くしたときから受けるべきだったのだ。
が、当時は、そんな事は一般的ではなかったのだろう。

弱音を吐く事は、プライドが許さなかったのだろうか だとしたら余りにも悲しい。

彼の突然死と言う結末を知っているから余計にそう思ってしまうのかも知れないが。。。。。
晩年の彼の生活は、緩慢な死への道程のように感じる。

プリシラがいみじくも言っている。
彼には、母性本能を刺激する所が有る、Elvisの為に闘って、彼を守って死んであげたくなると。

彼には、もの凄く傲慢な所も、幼児のように無垢な所も有ったと思う。

映像にも残っているが、彼が見せるあの笑顔もそうだ。
プリシラも、彼の秘密の恋人たちも、多くのファンも、あの笑顔が見たいのだ。

彼の孤独感を思うと、胸がふさがれる思いがする。

しかし、この生涯を通じて感じた孤独感こそ、彼を「エルヴィス・プレスリー」たらしめた、大きな、そして確かな原動力なのです。

「その大きな原動力は不幸な生い立ちにある
貧しくハングリーであったからこそ、かれは人一倍大きな夢を抱かえ、あるかも知れない才能を自分一人信じて、その夢に向って歩いて行った。
その旅はひどい重荷を背負ったものだった。
だが、逆境にあればあるほどいっそうパワーを持ち世の中を変える力を蓄えていった
その事はこれまであまり語られる事はなかった。
後年の彼は貧しさから脱却する事はできたが、不幸から逃れる事はできなかった
その不幸せで有った人生が、ちょうどマリリン・モンローがそうであったと同じ様に、その死後いつまでたっても、いやますます強く人の心を摑んで離さないのだ。
それは彼の背負った人間的苦悩が、挫折し、苦しむ人の心を癒すからに違いない。
エルヴィスと言う人物を通して、アメリカと言う国とそこに住む人々、そしてアメリカが目指そうとしたもの。その為に傷ついた多くの人々の事を知る事ができる
通り一遍でないアメリカを知る一つの手がかりが、彼の人生、なかんずく彼の死後のさまざまな事象に色濃く浮き出ているのである」エルヴィス・プレスリー 時代を変えた男 東 理夫 著作より引用 

エルヴィス・プレスリーを知る上で、大きな道案内になる本です。


Elvisが亡くなる前のコンサートツアーを観ると、胸が熱くなる。

太ったElvis、ライトが熱くて辛そうなElvis、もう以前のようにしなやかに動く事もないElvis。
もう昔のように格好良くはないElvis。
だけど、彼は心から熱唱して、あの無垢な笑顔を観客に見せている。
ステージの上で、彼は、生きていると感じているのだと思う。

そのElvisに泣けてしまうのだ。

(全体に追記しました。)
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by hanarenge | 2015-09-06 18:06 | Elvis | Comments(0)
2015年 08月 24日

Elvisの事 2

さて、除隊してドイツから帰国したElvis。

豪華な邸宅に帰ったけれど、迎えてくれる母の姿はなかった。

人気者の彼には、沢山のファンも仲間もいたし、取材もたくさん来ただろう、きっと忙しかったに違いない。

しかしElvisの孤独は、癒されるどころかますます深まったと思う。

仕方が無い事だけれど、母のいない事実が深く深く彼の心を捕らえていたのではないのかと。。。。

そして彼のマネージャーのパーカー大佐の方針も有り、帰国以降の彼は映画の撮影が続く事になる。

内容は・・・・・・まあ、いわゆる簡単お手軽のミュージック映画。
エルヴィスが歌い、踊り、きれいな女の子がたくさん出て、最後はハッピーエンド。
物語の舞台や配役は違っても、筋書きは似たようなものだ。

徴兵前の、エルヴィスの所に、初めて映画の仕事が来たときとても喜んだと言う。
まだ、スターになる前に、マーロン・ブランドや。ジェームス・ディーンに憧れていた1人の青年がチャンスを得て、漸く夢を叶えられるのだ。
台本を丸暗記したと言う話も聞く。彼の意気込みが伝わってくる話ではないか。

しかしこの話はElvisが主演ではないと言う理由で、パーカー大佐にあっけなく却下されてしまう。

次はThe Reno Brothers 主演ではないが、物語の鍵になるような役所
だけど、Elvisの意に反して、4曲も歌う事になっている。
シリアスな演技を希望した彼はさぞがっかりしただろう。

その主題歌が Love Me Tendaer

原曲はアメリカ民謡の「オーラ・リー」。これにプレスリーらが新たに歌詞を載せたもので、プレスリーの初主演映画『The Reno Brothers』(後に曲名と同じ『Love Me Tender』に改題)の主題歌として制作された。
シングル発売前の1956年9月に、プレスリーが『エド・サリヴァン・ショー』に初出演した際にこの曲を披露したところ、RCAレコードには100万枚のオーダーが殺到したという。当時、ビルボード誌のチャートでは、5週連続1位を記録。wikiより

原曲もアップだ
AURA LEA

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Elvisの演技は酷評されたらしいけれど 私は、初めてにしては中々じゃんと思っている。

こうして、入隊前に4本の映画を撮る事になる。
そして、やっぱり歌が挿入され、またこの歌が大ヒットするのだ。観客動員数も記録的になる。
プレスリーの映画は儲かる、誰もがそう思っただろう。

商業ベースに乗った彼の映画はこの後1969年まで何と27本もの映画が録られたのだ。
これでは、中身のある映画などになり様がない。
おまけに悪かったのか良かったのか、映画の中で歌った歌は相も変わらずヒットしたのだ。

ファンにしてみれば、そりゃそうだろう。話の内容は関係ないのである。
以前の様にステージで歌わないElvisなのである。
もうプレスリーに会うには映画館に行くしかないのである。
そして、かれに会い彼の歌を聴き、レコードを買うのだ。

私的には、入隊前に録られた「King Creole(闇に響く声)」なんかは愛情に飢えた淋しい青年と言う役所のElvisは良かったとおもうけどねえ、、、、

Elvisの元にウェストサイド物語を主演でとのオファーがあったらしい。
もちろんElvisは大乗り気だった・・・・が・・・・・またしても大佐である、時間がかかり過ぎるとか何とか言って却下。
パーカー大佐は、有能なマネージャーだったのだろう。しかし、もう少しプレスリーの事を尊敬してやってほしかったと思う。
サンレコードからぽっと出たヒルビリーキャットの頃ならいざ知らず。
もう大人になったのだ。彼は天性の歌手で、大きな才能に恵まれていた筈だ。

私はパーカー大佐は、海千山千の手合いだったと思うのだ。
彼はプレスリーを教育した。スターとしての立場や物腰も教え込んだろう。
人気者でいる為の秘訣も教え込んだろう。
そして、Elvisは百万$のスターになったのである。
「Elvis・Presley」は大佐がプロデュースしなかったら生まれてはいなかっただろう。

そう言う意味では、大佐の作品なのだと思う。

だからと言って、彼のやりたい事を頭から否定しなくても良いじゃないかと思うのだ。私なんかは。

Elvisは、内々では不満を漏らす事は有っても、パーカー大佐には従っていたと聞く。
彼にとって、大佐は父親のような存在だったのかも知れない。
実の父親は、到底、息子を受け止めてアドバイス出来るような人ではないから。

こんな時、グラディスママが生きていてくれたら。

不安や不満があったら、Elvisはきっとママに相談したり、胸の内を聞いてもらったり出来ただろう。
この後のElvisの人生も変わっていたのではないかと思えてならない。

ドイツに行く前に亡くなったママの部屋の前で泣いていたと言うElvis、なんか、とても可哀想でこちらまで泣けて来る。
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by hanarenge | 2015-08-24 18:03 | Elvis | Comments(0)
2015年 08月 23日

Elvisの事 1

Elvis Aron Presley
彼が亡くなったのは、1977年 8月16日
今だに、世界中でこの人の名前を知らない人は、ほとんどいないのではないかと思う。
Elvisと、ファーストネームだけで通用するのは、彼とイエスだけだと何かで読んだ事が有る・・・・

私にとってのエルヴィスは、白いジャンプスーツを着て、ステージで歌ったり空手のポーズみたいなパフォーマンスをしている、外国の歌手の人、そして、何だか、皆がパロディ化している人。。。。
それくらいの認識でしかなく、そしてそれを意識する事も無く、ただただ今まで来たのだった。

私より20年も早く生まれて、私が生まれた頃にはもうサンレコードからデビューしていたのではないか知らん????

ある日、何故か、自分でも説明がつかないのだけれど、ふと、エルヴィス・プレスリーとGoogleに文字を打っていたのだ。
出るわ出るわ、記事も写真も動画も凄い量だ。

若かりし日のエルヴィスは、唖然とするほどハンサムだった。

いや、「危険なほどハンサムだった」← これはその時にウェブで読んだ記事の中の一文です
私は、全くその通りだと深く思いました。

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そして彼のステージは、挑発的で、セクシーで、熱狂と歓声に満ちていた。

その熱狂の渦巻く中で、彼は甘く切なくブルースを歌い上げる。

声を張り上げて、ハートブレイクホテルや、ザッツオールライトを歌う。

その声は、大きな歓声にも負けず、はっきりと美しい発音で聞こえる。

彼の声は重い、重いが、透明感がある、濁りがないのだ。

彼は、ゴスペルもブルースも歌う、そして、その歌声は、心が癒されるような感じがする。



エルヴィスは、貧しい白人家庭の子供だ。
しかし、両親から惜しみない愛情を受けて育ったのだ。
父親が、公文書偽造の罪で、刑務所に入っている間、幼いエルヴィスと母、グラディスは寄り添う様に生きた。
幼いエルヴィスは、母親を気遣うやさしい子供だった。

余談だが、父親と言う人は中々ハンサムだったが、人が良すぎて(良い意味で言えばね)ころっと騙されるような所も有ったらしい。
エルヴィスが生まれたテューペロに居た頃は、父親は密造酒の運搬のような犯罪まがいのような仕事をしていたらしい。


彼は、とてもシャイで、とても礼儀正しかったと言う事だ。
これは、母親から、目上の人には必ずサーかマムをつける事と厳しくしつけられた事も関係していると思う。
シャイだった彼は、しかし、人の目を気にせずに、自分のスタイルを貫く図太さも持ち合わせていた。
彼の髪型、服装、それらは、当時の白人のボーイのするスタイルとは到底言え無かったらしい。

彼の歌い方や腰の動かし方が変だ、いや、もっと言えば卑猥だ、健全な白人の子供を惑わすものだとずいぶんと抗議も来たらしい。
大人たちは戸惑った、理解出来なかった。
しかし、若者たちは、特に女性は、エルヴィスに熱狂した。
20才の若者たった1人が、音楽で世界を揺さぶったのだ。
すぐに人気は無くなると言う見方に反して、エルヴィスの勢いはもう止まらなかった。
彼は、あっという間にスターになったのだ。

彼は人気絶頂の頃に徴兵される。
そして、兵役についている時に、彼がこの世で最も愛した人=エルヴィスの一番の理解者の母を失う。
グラディスは病気で永遠にエルヴィスの元から去ってしまったのだ。

マザコンと言っていいくらい母親思いだったエルヴィスが、母親を失ってどれほど辛く悲しかった事だろうと思うと胸が痛い。

私個人の考えだけれど、エルヴィスはこの母親の喪失に、生涯、耐えられなかったのではなかろうかと思う。母親の死を乗り越える事は恐らく出来なかったのではないかと。

ドイツに赴任したエルヴィスは、そこで、将来の妻となるプリシラと出会うのだ。

エルヴィスの事は、書きたい事が多く、記事も長くなるので、分けて書いて行こうと思う。

Elvis Aron Presley
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by hanarenge | 2015-08-23 09:04 | Elvis | Comments(0)