諸行無常
平家物語の冒頭 流れるような名文に乗って語りだされる一こまに、この有名な字句がある。
奢れる平家の、栄耀栄華は、夏の夜の夢のように消え果て、今は、壇ノ浦にその命運を託し・・・・・・
大海の、波間に揺れるのは船ばかりでは無く 平家の命運なのだ。
何となく、消え果る、世の無常 滅びの事のように感じていた。
しかし、仏教では、万物は変わりゆくという、至極当たり前のことをこの字句で言うのだ。
変わりゆく景色 変わりゆく季節 変わりゆく世界
なのに何故、人は、我が身が明日も変わらず、ここにいると、思うのだろうか。
何故 明日の事のみならず 来年も 再来年もと、思うのだろうか。
来年どころか 明日さえも、分からない世界に、我が身はいるのだ。
変わりゆくのは、物や景色、季節だけではない 人の心もまた変わりゆく
一時間前と、今では、もう同じとはいえない
この、万物流転 これを知ったとき、真に理解しえたとき、人は謙虚になり 他人を我が身と同じように慈しみ 気にかける事ができるのだろう。
などと、偉そうな事を書いたけれど 私が理解したわけでもない、ほんの少し、理解したような気持ちになっているだけなのだ。
そしてその気持ちは、春の淡雪のように消えやすい、移ろいやすいものなのだ。
80歳を過ぎてから、エジプトの砂漠の熱い風に吹かれてみたいのよと言って、飛行機に飛びのり、一人旅をした方がいた。
私は、その感性がすごく好きだった。
今夜、その人を送る席で お寺様の、諸行無常のお話を伺った。
短いお話だったが、心に深くしみたのだ。
この世では、変わらないものなど何一つとしてない
せめて、私も、変わりゆく世界に、少しでも思いを致し、小さな、小さな、善行を、わずかでも、積んでいきたい。
お心安らかに・・・・・・ご冥福を、心よりお祈りいたします 合掌。