心の万華鏡  

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2014年 03月 10日

The Godfather

あまりにも有名で大ヒットしたこの映画。
ザ・シネマで三本連続上映というか放送。観逃してはならじとHDDに録画しました。

暗い画面に浮かび上がる、男の顔。アメリゴ・ボナセーラだ。
やがてカメラはどんどん後ろへ引いていく。
男の手が見える。大きな手だ。やがてこの手の男のアップになっていく。

彼こそは、ゴッドファーザーと呼ばれる、ドン・コルレオーネだ。
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1945年8月の末の土曜日の明るい太陽の降る庭園で、ドンの一人娘コニーの結婚式が賑やかに晴れやかに行われている。

ドンの書斎は暗い。そこで彼は彼の友情に縋って頼み事をしにやって来る人たちと会っているのだ。
ゴッドファーザーは、奢る事も威嚇する事もなく黙って彼らの頼みを聞き、素早く、しかるべき完璧な、そして依頼人の満足する方法をたちどころに約束してくれる。
彼に暖かい友情を捧げれば、彼もそれにちゃんと答えてくれるのだ。其所には金があるかとか地位が有るかとかと言うような基準は無い。(もちろん金も地位も邪魔にはならないが、何も持たない市民であってもそれで恥じる事など無い)
ただゴッドファーザーへの友情があるだけなのだ。
マリオ・プーヅォの原作と非常にマッチした映画のシーンだ。
ここであらすじなど書く必要もないだろう。

ゴッドファーザーと三人の息子、そして彼のコンシリエーレ=相談役でありもう一人の息子でもあるトム。
彼ら家族の物語だ。

「このシリーズがつきせぬ魅力を放つのは、見てはならないピカレスクな裏社会をのぞき見させるような愉しみがあるからだ。ニーノ・ロータの哀調あふれたワルツの音楽にのせて、撮影監督ゴードン・ウィリスによってゴールデンアンバー(琥珀色)を基調にして陰影を強調された、マーロン・ブランドやアル・パチーノといった俳優たちが絶妙なアンサンブルを魅せる。彼らをマリオネットのように操るのは、才能に煌めきを見せるフランシス・フォード・コッポラ監督だ」 ザ・シネマより抜粋

イタリアから移民としてニューヨークに着いた12才のビト・アンドリーニは、コルレオーネと名前を改める。
映画では、これは役人が名前を間違えた事になっているが、原作ではビト自身が故郷の村との絆を残すべく名前を変えた事になっている。

プーゾォの原作では、三男のマイケルが父親の後を次いでドン・コルレオーレとなる所で終わっている。

しかしこの映画の第一作を観たら、絶対に続編を期待するだろう。

これは家族の物語。父親の跡目を継いだマイケルは、家族をそしてコルレオーネファミリーを守り父親がなし得なかった「表」に出て行こうとする。
ニューヨークからネバダへ、裏の世界から表の世界へ、合法的な会社組織に。
愛する子供たち、愛する妻の為、家族のため。
家族を愛し守った父親、愛された父親。冷徹だった父親、幾つもの顔を持ち、しかしそれは一点に凝縮される。
其所に有るのは、優しき心暖かき誠実な愛すべき男だ。
マイケルもいつか父親の様になりたいと心から願う。

そしてマイケルは、ドン亡き後、父親の時代に行われた事にけじめを付けた。
それはファミリーに(すなわちドンに対して)度し難い裏切り行為を働いた者を暴き制裁する所から始る。

パートⅠの最終シーン 妹コニーの夫を殺したのかと詰め寄るケイにマイケルは一度だけ答えてやると恐ろしい顔で言う。
答えは、NOだ。
安堵で泣きそうなケイは、私たち一杯飲みたいわと言って書斎の外のバーに向う。

その時、クレメンツァとロッコ、ネリが書斎に来る。
クレメンツァがマイケルの手に口づけしてドン・コルレオーネと言う。
ネリが静かにケイの前で書斎の扉を閉める。
この時、ケイはコニーの言った事(あんたの亭主は人殺しだ、妹の旦那まで殺した悪魔だ)が全て真実だと理解したのだ。

しかし、血の制裁は何を呼ぶ?
家族、ファミリーを守らねばならない、やらなければやられる。
そして彼は冷酷で恐ろしい男になっていくのだ。ある意味追い込まれていくのだ。

父親に約束した様にファミリーを守り、表に出るべく奮闘するのだが、その道は厳しく残酷で、孤独だ。

妹コニーの結婚式で、ファミリーの中でただ一人偉大なドンに逆らって海兵隊に入ったマイケルは恋人のケイと幸せそうに笑っていた。
彼は父親と別の道を歩く筈だったのだ。

しかし、彼はやはり選ばれた人だった、マイケルの運命はドン・コルレオーネになるべく定まっていたのだ。

マイケルが父親の仇を取ってシシリアに逃れたと知ったときの、ドンの顔。
打ちのめされた顔、ドンはマイケルの資質を見抜いてはいたが、彼をこの家業に引き込むことは避けたかったのに違いない。
ソニーが殺されたときもドンは耐えた、だとしても、それはいつか絶対に起こるであろう報復の時までだ。
だが、マイケル、彼だけは遠ざけておきたかったに違いない。
しかし、考えてみるとこれは報いなのだ。
ビト・コルレオーネが、「いままでに受けた尊敬とほしいままにした権力の代償」なのだ。(ゴッドファーザー上巻より引用)


パートⅡ、タホ湖の畔の邸宅の窓で、一発の銃声を聞いた後顔を伏せるマイケル、彼の孤独が強調された名シーンだと思う。
マイケルは商売では成功したが、家族を失ったのだ。
愛する人々は彼の元を去って行った。それはマイケルがしてきた事への報いだ。
そしてもう後には戻れない恐ろしい道に更に一歩、深く踏み込んだのだ。

パートⅢでは、バチカンまで話しは広がっていく。マイケルは長年の貢献について、バチカンからメダルを贈られる、それは非常に名誉な事なのだ(例え金で買ったとしてもだ、いや金で買わなければ名誉など手に入らない、しかし表に出る為には必要な切符だ)

バチカン銀行の醜聞とそれに伴って起きた殺人と言う、実際の事件がこの中で描かれている。
やっと出られると思ったら逆もどりだ!マイケルは言う。
しかし、表に出ると言う事はそんなに容易い事ではない。
彼のしてきた事が累々と足下に横たわり、血を流している。
お前だけ日の当たる所に出るのか!俺たちは置いていかれるのか!
お前と俺とどう違うのだ?
もっといい目をさせろ。もっと儲けさせろ。とにかくお前だけが逃げるなんて許さない!


マイケルはもうずいぶんと年を取った、そして彼の側には忠実な部下とファミリーがいる。
だが、彼の愛する妻ケイはマイケルの元を去った、彼の子供たちアンソニーとメアリーもいない。
彼の身内はコニーだけだ。
長兄のソニーは敵の罠にかかってマイケルがシシリアにいる時に殺された。
優しかった2番目の兄貴、フレドは・・・・・フレドは・・・・・・・・・フレド!!!
マイケルは深い罪の意識に苛まれている。

アンソニーはマイケルの仕事を嫌い、大学も途中で辞めてオペラの道を目指す。
そして、マイケルはコルレオーネ財団として組織を合法化する。
このトップにマイケルの愛娘が就くのだが・・・・・
その華やかなお披露目パーティーの席で、メアリーは従兄弟のビンセントと久しぶりに会う。
ビンセントの父親はビト・コルレオーネの長男のソニーだ、蜂の巣になった彼の忘れ形見。
母親はコニーの結婚式で浮気したルーシーだ。
ルーシー役の女優さんが、そのまま出ているのも良かった。

マイケルとメアリーがダンスをするシーンで、小さな女の子が(もちろんファミリーの誰かの子供と言う設定)メアリーの足にしがみつく。皆が笑いながらそれを見ている。

やがてオペラの曲に合わせて、マイケルの手による報復が始る。それは確かに正されなければならない事では有ったが。。。。。。。

パートⅢの最後で、マイケルは愛娘を撃ち殺される、それも自分の身代わりのような形で。この衝撃!!
声を消したマイケルの叫びのシーンが、深い深い悲しみを良く現していると思う。
もう二度とケイはマイケルを許さないだろう。認めないだろう。そして自分自身を責めるだろう。

マイケルが跡取りと定めたビンセントに言う言葉は。
「用心しろ、敵はいつも愛するものを狙って来る」
マイケルはしてきた事への報いを受けた。彼にはもう何も残ってはいない。
シシリアの村でのアポロニアとのダンス ネバダで踊るマイケルとケイ 美しく育ったメアリーと踊るマイケルの笑顔。。。。このシーンが流れていく。
全て彼の元から去って行った人たち。もう戻って来ない日々。

やがて、シシリアの古い家の庭で、木が枯れる様に倒れるマイケルをカメラは捉えてこの長い家族の物語は終わりを迎える。

父は人生は美しいと言って死んだ。
マイケルは?マイケルの人生は美しいとは到底言えないだろう。

PART II』で息子のアンソニーがマイケルへ贈る絵は監督の長男ジオが描いたものだった。1986年5月、そのジオはボート事故で命を落としたが、『PART III』でその絵は、オペラ歌手としてデビューを飾るアンソニーへお守りとして渡される。また、『PART III』の冒頭でダンスを踊るマイケルとメアリー(ソフィア・コッポラ)に割って入ってソフィアの足にしがみついている女の子は監督の孫娘で、ジオの忘れ形見であるジアちゃんである。ザ・シネマ、ゴッドファーザーより抜粋

なんかこう言うのも泣けるねえ。

パートⅠでマイケルがコニーの息子のゴッドファーザーになるシーンが有る。
教会の賛美歌と神の恩寵に満ちたシーンに重なるのは、復讐の嵐だ。
この取り合わせが絶妙だと思う。
所でこの赤ちゃん、マイケル・フランシス・リッチは生まれたばかりのソフィア・コッポラなのだ。
ソフィア・コッポラって誰よと思う方。
彼女はこの映画の監督のコッポラ監督の娘で、パートⅢでマイケルの娘メアリーを演じた人です。

まあ、彼女の評判は散々だったようで、有難くない賞まで頂いたらしい。
私も初めて見た時から、このメアリーは頂けなかった。
でも、またこの度見直したら、そう悪くもないと思う。上手くはないけれどね。

パートⅡの若きクレメンツァを演ったブルーノ・カービーは、パートⅠの太っちょで陽気な幹部クレメンツァを演じたリチャード・カステラーノの息子役をやったことがあるから、その縁で青年時代の彼を演じたのだとか。
無名だったロバート・デニーロはⅠで、ドンを売るポーリー・ガットー役に抜擢されたが、主役のアル・パチーノが出演契約が残っていた映画に代役を頼んだ結果、ポーリー役は降板となった。
しかし彼のソニー役の迫真の演技テストをコッポラ監督は見ていて、パートⅡでは若い日のビト・コルレオーネに抜擢されたのだとか。
撮影裏話と言うのも、中々面白い。
そして、あのビト・コルレオーネを演じたマーロン・ブランドが抱いている猫は、パラマウントスタジオをウロウロしていた野良猫だったらしい。彼が気に入って撮影に使ったとか。。。。
猫を抱き陳情を聞くあの名シーンにもこんな話があったのだなあ。

そしてさすがと言うかやはりと言うか、マーロン・ブランドは台詞を覚えず、カンペをアル・パチーノや、ロバート・デュヴァル(トム・ヘイゲン役)に持たせて読み上げていたとか。いずれもザ・シネマより。

長い映画だが、見直す度に新たな感動を与えてくれる映画だと思う。
とても上手に作られているし、何よりも出演者がちょい役に至るまで素晴らしい。
セットも素敵だし、登場する人たち皆お洒落。
Ⅰは1972年上映Ⅱは1974年上映と言う様に、もう初めの作品から40年以上経っているが、この映画ほど色褪せない映画も少ないのではないかと思う。

パートⅢのCDにはコッポラ監督による第4作の構想も語られている。
それによると、ビンセントがファミリーのドンになるが(パートⅢでそのシーンが有った)
もう以前のコルレオーネ帝国のような勢いは無く、麻薬に手を出してやがて、崩壊に至るらしい。
Ⅱの様に現代と過去が交錯し、過去ではビトがコルレオーネファミリーを束ねていく時代。
繁栄と崩壊が交錯していく。観たいなあ。。。。。
残念な事にコッポラ監督かマリオ・プーヅォのどちらかが亡くなれば映画は終わりと言う約束が二人の間ではあって、そして、プーヅォは亡くなってしまったので、コッポラ監督の手による続編はもう作られないだろう。
新しい時代に、新しい監督で、この原作と映画の重みを失わないⅣが作られたらいいなあと贅沢にも思っているこのごろである。

コニーの結婚式はもう遠い過去 その日は皆笑っていた。
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「古き良き時代」はこの日を境に去って行ったのだ。

ドンになったマイケルと若き時代のビト・コルレオーネ。
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マーロン・ブランドは別格として、この二人はこの映画には欠く事の出来ない俳優だったと思う。
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by hanarenge | 2014-03-10 13:29 | 映画あるいは読書&ドラマ | Comments(2)
Commented by captain_spoc at 2014-03-10 20:54
ブログで良くぞここまで詳しく書いていただきました
映画は見ていませんが一気に読ませていただきました
なんかもう見たような気になりました
Commented by hanarenge at 2014-03-10 23:33
スポック艦長さん。
いやいや、いつも駄文を読んで頂いて有り難うございます。
ちょっとだけ、力が入りました^^。
良い映画ですよ、後悔させませんよ。
お暇なおりにでもご覧になって頂きたい映画です。
パートⅠは傑作、Ⅱも素晴らしいです。
Ⅲは駄作との声も有りますし、コアなファンによると作るべきではなかった映画だと言う事になっています。
でも私的には、Ⅲは作るべきだったと思います。マイケルは報いを受けねばならなかったのです。
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