東向き商店街、南に延びる商店街なのに何故東向き???。
それは興福寺に関係しています。商店街の東側は興福寺、その昔南都の興福寺と言えば一大勢力でした。(写真に向かって左側が東側、すなわち興福寺です)
鎌倉時代大和一円を支配していた興福寺の勢力は強大で、かりにも伽藍の近辺に商家を作ることはできず、興福寺からの眺望を妨げる二階建てさえも堅く 禁止されていました。従って興福寺に面した東向通りは道の西側だけに人家があっただけで東向町という町名もここから生まれました。その後興福寺の勢力が衰え、道の東側にも住宅がたちならぶようになりました。現在人家の裏に一部溝を残しているのが、興福寺との境界の溝といわれています。奈良東向商店街HPより抜粋
そう言う事でしたか、寺社の勢力は、貴族にも匹敵、いやそれ以上だったかも。
昔の物語に南都の僧兵が押し寄せたとか、比叡山の僧兵が神輿を担ぎ、槍、刀を押し立てて衣の下に鎖帷子等を着込んで都に押し寄せたとか。。。。書いてあります。
白河天皇が、「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と嘆いたと平家物語に有りますが、それは中々頭の痛い事だったでしょう。
それが後の世の、比叡山焼き討ちにも繋がっていくのかも知れません。
大乗院庭園
興福寺の門跡寺院である大乗院の寛治元年(1087年)創建と同時に築造された庭園とWikiには有ります。
大乗院は明治の廃仏毀釈で廃寺となってしまいましたが、庭園は残りました。
復元工事がなされ一般公開されています、その昔はもっともっと立派な庭園であっただろうと。。。後ろに見えているのは奈良ホテルです。
今回初めて大乗院に行ったのです。
その道すがら、こんな塔がぽつんと残されてありました、わざわざ残しているくらいだから謂れがありそうです。
ちょっと休憩。
これはぶとまんじゅうです、春日大社の御例祭に神前にお供えする唐菓子です。
ぶとは、奈良時代に遣唐使が伝えたと言う唐菓子の一種で、神社、寺院の神饌菓子なのだそうで。
平たく言えばあんドーナッツみたいなお菓子^^(多分、現代風にアレンジされていると思います)
「萬々堂通則さん」と言う和菓子屋さんでこしらえて販売しています。
餅飯殿商店街にあります。
京都ほど、有名所が押すな押すなでは無いけれど(有名でない所も押すな押すなに、なっている感も有ります)奈良にも由緒あるお菓子があるんです。
京都にも唐菓子が有りましたね、あれも食べてみたい^^