天皇の御常御殿を後にして これから皇后御常御殿と飛香舎へと向かいます
御殿の屋根の向こうに小さく見えるのは
鴨川の水と叡山の僧兵は思い通りにはならないものと嘆いたのは 後白河法皇ですが その比叡山です
天台の威光を背景に 叡山の僧兵は 気に入らないことがあると 大挙して都に押しかけ 直談判などを行ったのでしょう
時には 対立する公家たちと手を結び 政権を脅かす存在ともなったのでしょう 頭の痛い存在で難儀なことだったでしょうね
栄華を誇った大伽藍が紅蓮の炎に焼きつくされたのは 時代がずっと下った1571年の戦国時代です
そのような暴挙を誰もが想像もしなかったことでしょう それを遭えてやった信長は新しい時代の到来を予感させる人物であったのでしょうか
皇后御常御殿の襖絵と板戸に描かれた絵です
16世紀の終わりごろから女御あるいは皇后の日常の住まいとして造営された宮殿(宮内庁京都事務所パンフレットより)
清涼殿は寝殿造りなのに対して 先の天皇の御常御殿も皇后御常御殿も書院造りです 建築の変換も見られると言うわけです
朔平門です 御所の一番北側にあります 南の建令門と対峙していて 女御入内の儀式に用いられたと言うことです(パンフレットより)とても美しい門です
門の屋根には菊の花が飾りとして付けられていました 屋根瓦と同じように焼いたのでしょうか 心使いが感じられるなあ